はい、今回は大阪府和泉市にある「信太狐塚古墳(しのだきつねづか古墳)」を紹介します。信太狐塚古墳は信太千塚古墳の一つで、現在公園に整備されて保存されています。
公園内に保存される古墳のパターンとしては、①魔改造される、②丁寧に保存される、③完全に放置される、この3つに大別されます。今回紹介する信太狐塚古墳は、③の「完全に放置される」パターン。公園に完全放置されている信太狐塚古墳とは、どのような状態なのか。それを確かめるべく、大阪府和泉市に行ってきました。
信太狐塚古墳とは
信太狐塚古墳のある、大阪府和泉市に来ています。大阪府南部に位置する和泉市は、分国でいう「和泉国」に属しますが、その中で唯一海に面しない市として知られています。比較的山あいの地域が多いためか、大型の古墳はあまり存在しません。
信太狐塚古墳は、和泉市北西部にある「信太山丘陵」に存在。この信太山丘陵には、85基ほどで構成される「信太千塚古墳群(しのだせんつかこふんぐん)」が存在していました。元々は鬱蒼とした雑木林の中にあったそうですが、周辺の住宅整備に合わせて公園として整備されたとのこと。
そんな訳で、子供たちが広い公園に行きたいという要望があったため、信太狐塚古墳の近くにある黒鳥山公園にいき、ついでに古墳に寄ることに。
子供たちが遊んでいる間に、公園から徒歩10分ほどの信太狐塚古墳へ向かいます。道を歩いていると、和泉市のキャラクターを発見。コダイ君は「イズミ国第133代の王様の三男で愛の戦士」。もう一人のロマンちゃんは「イズミ国の清らかな水を司る巫女。」だそうです。愛の戦士というフレーズが、昭和を感じずにいられません。
途中、黒島牛神社という少し変わった神社を発見。正面から見ると普通の小さな神社ですが、鳥居をくぐってみると、境内に石が積まれた塚がいたる所に置かれています。どのような意味があって置かれているのかは全く不明。境内はキレイに整備されているので、氏子の公認で置かれているようです。
由緒などは不明ですが、珍しい「牛神」という神様を祭っているとのこと。境内の広さに比して、本殿が祠レベルのサイズという奇妙なアンバランス。
という訳で神社で参拝をし、信太狐塚古墳が保存されている「山荘きつねづか公園」へ。古墳が保存されている公園なので、「●●古墳公園」とか「●●史跡公園」という名前でもいいんじゃないかと思いますが、公園から古墳感は全く感じません。
古墳の後背に見える謎の巨塔が気になりますが、配水場の設備のようです。なかなか独特のフォルムがいい感じ。
さて、古墳を激写しようと思ったら子供たちが墳丘で遊んでいました。謎の盛り土を激写している不審者オジサンと思われる時間がしばらく続きそうです。
信太狐塚古墳は、6世紀後半に築造された全長58mの前方後円墳。約85基で構成される「信太千塚古墳」において唯一の前方後円墳で、古墳群における盟主墳と考えられています。信太狐塚古墳という名前ですが、正式名は「信太千塚43号墳」。
6世紀後半には全国で前方後円墳の築造が停止され、古墳が小型化する時期にありました。この時代に、全長58mの前方後円墳というのは大きい規模に類することから、信太狐塚古墳の被葬者は、大和王権と近い有力者だったのかもしれません。
遺物としては、種類不詳の形象埴輪片と後円部封土内より須恵器子持壺が出土しています。濠、埴輪、葺石などの存在は不明。埋葬施設も不明ですが、6世紀後半の築造だとすると、横穴式石室の可能性があります。
この信太狐塚古墳ですが、とにかく情報がありません。公園内に案内板がないのはもちろん、和泉市の資料にもほとんど記載がありません。
という訳で、古墳を一周してみます。後円部は直径30m、高さ4.5m。それなりに元の姿は残されているようです。
上ってみましたが何があるというわけでもなく、眺めがいいわけでもありません。
石が転がっていましたが、古墳と関係する石なのかは不明。おそらく関係なさそうな気がします。ちなみに墳頂には盗掘穴があったらしく、埋葬施設は盗掘を受けていたようです。
前方部は元の土地の所有者が竹林を作るためにブルドーザーで潰してしまったため、何の痕跡も残っていません。本来は、幅38m、高さ1.5mの規模で、後円部に比して、前方部の幅が広いという後期前方後円墳の特徴を有していました。
後円部のとなりにも小さな盛り土がありますが、別の古墳の「信太千塚44号墳」になります。築造時期や墳形などは不明。こちらも大きく削平されているのか、随分小さな姿になっています。
とりあえず一周してみましたがこれといって気になる場所もなく、ただの小山をひたすら激写しているだけの、不審なオジサンと化しているだけでした。
そんな訳で、古墳を写しているんだということがわかるように、古墳の名前だけでもいいので看板を設置してほしいと思いました。
まとめ
今回は、大阪府和泉市にある「信太狐塚古墳」を紹介しました。信太千塚古墳群唯一の前方後円墳として保存されていますが、その希少性とは裏腹に案内板もない完全放置された古墳です。せめて公園名に「古墳」とか「史跡」とついていればと思いますが、謎に古墳感を抹殺している公園でした。
という訳で、信太狐塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、公園内に保存されているけど完全に放置されている古墳を紹介します。
信太狐塚古墳詳細
古墳名 | 信太狐塚古墳 |
別名 | 信太千塚43号墳 |
住所 | 大阪府和泉市山荘町 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 58m |
高さ | 4.5m |
築造時期 | 6世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
出土物 | 須恵器子持壺、形象埴輪片(種類不詳) |
府の史跡 | 1993年3月31日 |
参考資料 | ・和泉市HP ・百舌鳥古墳群を歩く ・前方後円墳集成(近畿編) |