MENU
  • HOME
  • 奈良県の古墳
  • 大阪府の古墳
  • 兵庫県の古墳
  • 墳形別
  • 宮内庁管理
  • 指定文化財
関西の古墳巡り
コフンノート
  • HOME
  • 奈良県の古墳
  • 大阪府の古墳
  • 兵庫県の古墳
  • 墳形別
  • 宮内庁管理
  • 指定文化財
  • HOME
  • 奈良県の古墳
  • 大阪府の古墳
  • 兵庫県の古墳
  • 墳形別
  • 宮内庁管理
  • 指定文化財
コフンノート
  • HOME
  • 奈良県の古墳
  • 大阪府の古墳
  • 兵庫県の古墳
  • 墳形別
  • 宮内庁管理
  • 指定文化財
  1. ホーム
  2. 古墳
  3. 大阪府
  4. オーコ古墳群(8・9・10号墳)|精巧な石室を持つ藪漕ぎ古墳~大阪府羽曳野市~

オーコ古墳群(8・9・10号墳)|精巧な石室を持つ藪漕ぎ古墳~大阪府羽曳野市~

2025 4/11
古墳 大阪府
2024年9月28日2025年4月11日
オーコ古墳群

はい、今回は大阪府羽曳野市にある「オーコ古墳群(8・9・10号墳)」を紹介します。オーコ古墳群は、たどり着くことが難しい難関古墳の一つ。難関古墳は山奥にあることが多いのですが、こちらのオーコ古墳群もその例にもれず、思いっきり山の中にある古墳です。

難関古墳のオーコ古墳群ですが、特に8号墳がとても精巧な横口式石槨を持つ古墳ということで、見ごたえのある古墳とのこと。山奥にある精巧な横口式石槨を持つ古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府羽曳野市にある「オーコ古墳群(8・9・10号墳)」へ行ってきました。

オーコ古墳群(8・9・10号墳)とは

オーコ古墳群のある、大阪府羽曳野市に来ています。羽曳野市の古墳といえば、世界文化遺産にも登録された「古市古墳群」がよく知られています。羽曳野市から藤井寺市にかけては、全国2位の規模を誇る応神天皇陵をはじめ、5世紀中頃の古墳が多数築造されました。この地では、その後も古墳の築造は続き、特に金剛山地に置いて多数の古墳が築造されています。

応神天皇陵/誉田御廟山古墳

そんな訳で、オーコ古墳群の最寄り駅である近鉄南大阪線「上ノ太子駅」にやってきました。この駅は太子町の玄関口になりますが、駅が存在するのは羽曳野市。お隣太子町は、聖徳太子の墓である「叡福寺北古墳」があるということで、聖徳太子ゆかりの町として知られています。そんな訳で駅前には聖徳太子の像が建てられていました。

駅から北東へ少し歩いていくと「飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)」が存在します。この辺りは「羽曳野市飛鳥」という地名で、難波宮から見て、大阪の飛鳥を「近つ飛鳥」、奈良の飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼ばれていました。古くは「飛鳥戸郡」が置かれた場所で、渡来系豪族の「飛鳥戸氏」が本拠地としたと考えられています。この飛鳥戸神社は、飛鳥戸氏が祖神である「昆伎王(こんきおう)」を祀っていたようです。

飛鳥戸神社
飛鳥戸神社

飛鳥戸神社から山のほうへ歩いていくと、ブドウ畑が見えてきました。この辺りは、寺山・鉢伏山から尾根がいくつか伸びており、その尾根上に多数の古墳が築かれています。その中でも、鉢伏山から南に伸びる尾根に築造された「観音塚古墳」が精巧な横口式石槨を持つ古墳として知られています。これらの古墳は、「飛鳥千塚古墳群」と呼ばれ、現在130基ほどの古墳が存在。オーコ古墳群も飛鳥千塚古墳群に含まれ、その中で「C群」に属しています。

観音塚古墳
観音塚古墳

オーコ古墳群は、寺山から伸びる尾根の先端付近に築造された古墳群。1号墳から10号墳までの存在しますが、それ以外にも複数の古墳が存在していたようです。開墾などにより失われているようです。オーコという名前ですが、呼ばれ方は「ヲヲコウ」「オコウ」「オーコー」など様々。由来は不明ですが、8号墳が「王公塚古墳」という別名があることから、高貴な人を意味するのかもしれません。

そんな訳で、ブドウ畑に囲まれた道をさらに上っていくと「イノシシ出没危険」の案内板を発見。出没注意ではなく出没危険というのが、リアル過ぎます。

オーコ古墳群

更に坂道を上っていくと、ブドウ畑の間に細い道があり、その脇に案内板が置かれていました。どうやらこの先が、寺山に続く登山道のようです。ただ歩いている感じでは凸凹で障害物も多く、道というよりはブドウ畑の間にある隙間という感じ。この看板がなければ、ここが登山道と気づく人はいないでしょう。

オーコ古墳群

そんな隙間か道か分からないところを抜けると、登山道に到着。

オーコ古墳群

本当に登山道ですよね?

ブドウ畑の隙間を抜けるといきなり山ですが、倒木で登山道が全く分からず。恐らくマイナーな登山道なので、歩いている人は少ないのでしょう。とりあえず登れそうな茂みから無理やり山に突入。

茂みを抜けると道らしい感じの場所に出ました。足跡らしきものがあったのですが、よく見ると動物の足跡っぽい感じ。先ほど見かけた看板から考えてイノシシしか考えられませんが、まあまあ新し目の足跡だったので恐怖しかありません。

オーコ古墳群は寺山から伸びる尾根の先端にあり、登山道から外れた場所に存在します。難関古墳ということで、訪問者も少なくネットでもルートについての記載は少なめ。登山道を少し登ったところに、看板と赤いテープが貼られている場所がありました。Googleマップの位置的に、ここから茂みに突撃して尾根の先端に行く必要がありそうです。

オーコ古墳群

最初の方は道っぽいのですが、途中から完全に茂み。真冬ということで草は大したことはないのですが、低木の枝が至る所にあり、着ていたダウンジャケットはビリビリに。所々に赤いテープがるので、これが古墳への道しるべと信じて進むしかありません。テープの先が落とし穴だったら確実に落ちてます。

とりあえず第一目標は、古墳群で一番高い場所にある、オーコ9号墳。途中からどこを歩いているのかサッパリ分かりませんが、グルグルあるいていると何となく盛り上がっている部分があり、回り込んでみるとオーコ9号墳を発見。

オーコ9号墳

オーコ9号墳は、直径14mほどの円墳と考えられています。封土の大半が失われており、石室がむき出しの状態。遺物として、須恵器の杯蓋が2つと、台付長頸壺が見つかっています。埋葬施設は、南西に開口した横穴式石室。自然石を組み合わせた無袖式の石室で、規模は幅1.32m、長さ7m以上、現存高さ1.15mを測ります。

オーコ9号墳

という訳で、中に入って見ることに。石室が露出しているためか、かなり風化が進んでいます。羨道の天井石は失われていますが、玄室にはいくつかの天井石が残されています。ただ崩れそうなオーラを発してるので、サラッと見学。

オーコ9号墳

オーコ9号墳の次は、少し南西に下ったところにあるオーコ10号墳へ。ここは石室の大半が失われているらしく、目印が全くありません。ひたすら山中をグルグル徘徊していると、服が完全にボロボロに。そんなこんなで、オーコ10号墳らしきものを発見。

オーコ10号墳

まあまあ地面ですね

石室の基底部だけが残るという情報があったので、おそらくこちらがオーコ10号墳と思われます。もしかしたらただの地面かもしれませんが。発掘調査が行われておらず、このような姿なので墳形や規模は不明。埋葬施設は南西に開口した石室と思われます。

そんな地面古墳であるオーコ10号墳を後に、最後の目的地オーコ8号墳へ。オーコ10号墳からやや南東に歩いたところに、オーコ8号墳が存在します。少し歩くと茂みが終わり、開けた場所に。

オーコ古墳群

この辺りは廃ブドウ畑だったのか、謎の針金が至る所にあり、意外と難所。そんなこんなで彷徨っているうちに、なんとかオーコ8号墳を発見。イノシシの影に怯え、茂みに突入し、道無き道を進み、謎の針金と格闘するという、まさに難関古墳。とりあえず、運動不足のアラフィフが野生の山を徘徊するのはヤバいです。

オーコ8号墳

オーコ8号墳は、7世紀中頃に築造されたと考えられています。こちらも石室を覆う封土が失われているため、墳形や規模については不明。一説によると、全長17m~20mの方墳もしくは円墳ではないかとのこと。古くから開口しており遺物は多くありませんが、須恵器の長頸壺の頸部、杯蓋、土師器の杯2つが見つかっています。

埋葬施設は、南西に開口した横口式石槨。石室規模は、石槨長2.05m、羨道長3.75mで、全長約5.8mを測ります。羨道の側壁前面が斜めにカットされているのが非常に特徴的。おそらくこの部分は築造時から露出しており、墳丘の角度に合わせてカットしたものと考えられています。

オーコ8号墳

という訳で、中に入ってみることに。内部は平らに加工された切石が用いられています。天井と側壁の隙間には板状の石材で調整され、漆喰も多く用いられているとのこと。

オーコ8号墳

こちらが石槨部で、羨道と同様に切石が用いられた精緻な構造。横口式石槨ということで、内部はかなり狭め。おそらく追葬を想定していなかったのでしょう。これほど精巧に石材を組み合わせた石室は珍しく、苦労して訪れたかいがありました。

オーコ8号墳

8号墳と9号墳は、近い時期に築造されたと考えられています。9号墳が自然石を用いた横穴式石室であるのに対し、8号墳は切石を用いた横口式石槨となっています。同じ墓域に築造されていることから、同じ集団の墓と考えられていますが、この違いにどのようなことが起因するかは分かっていません。

オーコ9号墳
9号墳
オーコ8号墳
8号墳

オーコ古墳群の被葬者については分かっていませんが、この一帯を本拠地とした「飛鳥戸氏」が有力な候補として挙げられています。飛鳥戸氏は、百済の王族である昆伎王を祖とする渡来系の豪族でした。ただ、飛鳥戸氏の活躍についての資料が少なく、どのような集団であったかについてはよくわかっていません。

それにしても、誰もいない静かな山の中に古墳がヒッソリあると、まさに墓域であることを実感します。オーコ古墳群を築いた一族にとっては、神聖な場所だったのでしょう。

ちなみに、更に南に行くと、1~7号墳もあるのですが、真冬の山の中で一人で見知らぬところにいると寂しさ抜群なので、とりあえず帰ることにしました。

まとめ

オーコ8号墳

今回は、大阪府羽曳野市にある「オーコ古墳群(8・9・10号墳)」を紹介しました。山奥にある難関古墳の名に恥じない、ハードな古墳と言えるでしょう。もう一回行けといわれたらゴメンナサイといいたいところですが、まだ見ぬ1~7号墳があるので、体力と気力とイノシシを撃破できるパワーがあればチャレンジしたいと思います。

そんな訳で、オーコ古墳群(8・9・10号墳)の紹介はこの辺で。次回はまた別の、山奥にある茂み難関古墳を紹介します。

オーコ古墳群詳細

古墳 大阪府
その他 円墳 羽曳野市 飛鳥千塚古墳群
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
  • 芝ぞえ古墳|芝というか竹林でした~奈良県三宅町~
  • 石くど古墳|火山が噴火したときのシェルター?〜兵庫県丹波篠山市〜

この記事を書いた人

コフンノート

ごくありふれた、古墳好きの投資家です。

関連記事

  • 北口塚古墳(纒向古墳群)
    北口塚古墳|田んぼの中にある茂み古墳~奈良県桜井市~
    2025年6月14日
  • 文殊塚古墳(百舌鳥古墳群)
    文殊塚古墳|百舌鳥古墳群の端にある謎多き前方後円墳~大阪府堺市~
    2025年6月7日
  • 稲荷山古墳(纒向古墳群)
    稲荷山古墳|墳丘に稲荷社が建てられた古墳〜奈良県桜井市〜
    2025年5月31日
  • 宮の前古墳(纒向古墳群)
    宮の前古墳|宮の前なのに宮の横にある古墳~奈良県桜井市~
    2025年5月24日
  • 芦屋神社境内古墳|神社と融合した横穴式石室〜兵庫県芦屋市〜
    2025年5月17日
  • 文武天皇陵(栗原塚穴古墳)|本当の文武天皇陵ではないかも・・・~奈良県明日香村~
    2025年5月10日
  • 出雲井7号墳
    出雲井7号墳|駐車場の片隅にある地面でした~大阪府東大阪市~
    2025年5月6日
  • 出雲井5号墳(出雲井古墳群)
    出雲井5号墳|マンション内の公園に残る石でした~大阪府東大阪市~
    2025年5月5日
検索
最近の投稿
  • 北口塚古墳|田んぼの中にある茂み古墳~奈良県桜井市~
  • 文殊塚古墳|百舌鳥古墳群の端にある謎多き前方後円墳~大阪府堺市~
  • 稲荷山古墳|墳丘に稲荷社が建てられた古墳〜奈良県桜井市〜
  • 宮の前古墳|宮の前なのに宮の横にある古墳~奈良県桜井市~
  • 芦屋神社境内古墳|神社と融合した横穴式石室〜兵庫県芦屋市〜
カテゴリー
  • 兵庫県 (26)
  • 古墳 (174)
  • 大阪府 (59)
  • 奈良県 (87)
人気記事
  • 護国神社前池中古墳
    護国神社前池中古墳|ソーラーパネルに包囲された古墳~奈良県奈良市~
  • 狐井稲荷古墳|日本最大級の子持ち勾玉の発見!~奈良県香芝市~
  • 三井岡原古墳(富郷陵墓参考地)
    三井岡原古墳(富郷陵墓参考地)|本当に山背大兄王の墓?~奈良県斑鳩町~
各地の古墳群
  • 三宅古墳群
  • 三島古墳群
  • 中筋山手古墳群
  • 久米田古墳群
  • 人気記事
  • 出雲井古墳群
  • 大塚山古墳群
  • 平尾山古墳群
  • 杣之内古墳群
  • 玉手山古墳群
  • 百舌鳥古墳群
  • 見野古墳群
  • 飛鳥千塚古墳群
  • 首子古墳群
  • 馬見古墳群中央群
  • 馬見古墳群北群
  • 馬見古墳群南群
  • 高安千塚古墳群
  • プライバシーポリシー
  • 免責事項

© コフンノート.

  • メニュー
  • プライバシーポリシー
  • 免責事項