はい、今回は大阪府羽曳野市にある「オーコ古墳群(8・9・10号墳)」を紹介します。オーコ古墳群は、たどり着くことが難しい難関古墳の一つ。難関古墳は山奥にあることが多いのですが、こちらのオーコ古墳群もその例にもれず、思いっきり山の中にある古墳です。
難関古墳のオーコ古墳群ですが、特に8号墳がとても精巧な横口式石槨を持つ古墳ということで、見ごたえのある古墳とのこと。山奥にある精巧な横口式石槨を持つ古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府羽曳野市にある「オーコ古墳群(8・9・10号墳)」へ行ってきました。
オーコ古墳群(8・9・10号墳)とは
オーコ古墳群のある、大阪府羽曳野市に来ています。羽曳野市の古墳といえば、世界文化遺産にも登録された「古市古墳群」がよく知られています。羽曳野市から藤井寺市にかけては、全国2位の規模を誇る応神天皇陵をはじめ、5世紀中頃の古墳が多数築造されました。この地では、その後も古墳の築造は続き、特に金剛山地に置いて多数の古墳が築造されています。
そんな訳で、オーコ古墳群の最寄り駅である近鉄南大阪線「上ノ太子駅」にやってきました。この駅は太子町の玄関口になりますが、駅が存在するのは羽曳野市。お隣太子町は、聖徳太子の墓である「叡福寺北古墳」があるということで、聖徳太子ゆかりの町として知られています。そんな訳で駅前には聖徳太子の像が建てられていました。
駅から北東へ少し歩いていくと「飛鳥戸神社(あすかべじんじゃ)」が存在します。この辺りは「羽曳野市飛鳥」という地名で、難波宮から見て、大阪の飛鳥を「近つ飛鳥」、奈良の飛鳥を「遠つ飛鳥」と呼ばれていました。古くは「飛鳥戸郡」が置かれた場所で、渡来系豪族の「飛鳥戸氏」が本拠地としたと考えられています。この飛鳥戸神社は、飛鳥戸氏が祖神である「昆伎王(こんきおう)」を祀っていたようです。
飛鳥戸神社から山のほうへ歩いていくと、ブドウ畑が見えてきました。この辺りは、寺山・鉢伏山から尾根がいくつか伸びており、その尾根上に多数の古墳が築かれています。その中でも、鉢伏山から南に伸びる尾根に築造された「観音塚古墳」が精巧な横口式石槨を持つ古墳として知られています。これらの古墳は、「飛鳥千塚古墳群」と呼ばれ、現在130基ほどの古墳が存在。オーコ古墳群も飛鳥千塚古墳群に含まれ、その中で「C群」に属しています。
オーコ古墳群は、寺山から伸びる尾根の先端付近に築造された古墳群。1号墳から10号墳までの存在しますが、それ以外にも複数の古墳が存在していたようです。開墾などにより失われているようです。オーコという名前ですが、呼ばれ方は「ヲヲコウ」「オコウ」「オーコー」など様々。由来は不明ですが、8号墳が「王公塚古墳」という別名があることから、高貴な人を意味するのかもしれません。
そんな訳で、ブドウ畑に囲まれた道をさらに上っていくと「イノシシ出没危険」の案内板を発見。出没注意ではなく出没危険というのが、リアル過ぎます。
更に坂道を上っていくと、ブドウ畑の間に細い道があり、その脇に案内板が置かれていました。どうやらこの先が、寺山に続く登山道のようです。ただ歩いている感じでは凸凹で障害物も多く、道というよりはブドウ畑の間にある隙間という感じ。この看板がなければ、ここが登山道と気づく人はいないでしょう。
そんな隙間か道か分からないところを抜けると、登山道に到着。
本当に登山道ですよね?
ブドウ畑の隙間を抜けるといきなり山ですが、倒木で登山道が全く分からず。恐らくマイナーな登山道なので、歩いている人は少ないのでしょう。とりあえず登れそうな茂みから無理やり山に突入。
茂みを抜けると道らしい感じの場所に出ました。足跡らしきものがあったのですが、よく見ると動物の足跡っぽい感じ。先ほど見かけた看板から考えてイノシシしか考えられませんが、まあまあ新し目の足跡だったので恐怖しかありません。
オーコ古墳群は寺山から伸びる尾根の先端にあり、登山道から外れた場所に存在します。難関古墳ということで、訪問者も少なくネットでもルートについての記載は少なめ。登山道を少し登ったところに、看板と赤いテープが貼られている場所がありました。Googleマップの位置的に、ここから茂みに突撃して尾根の先端に行く必要がありそうです。
最初の方は道っぽいのですが、途中から完全に茂み。真冬ということで草は大したことはないのですが、低木の枝が至る所にあり、着ていたダウンジャケットはビリビリに。所々に赤いテープがるので、これが古墳への道しるべと信じて進むしかありません。テープの先が落とし穴だったら確実に落ちてます。
とりあえず第一目標は、古墳群で一番高い場所にある、オーコ9号墳。途中からどこを歩いているのかサッパリ分かりませんが、グルグルあるいていると何となく盛り上がっている部分があり、回り込んでみるとオーコ9号墳を発見。
オーコ9号墳は、直径14mほどの円墳と考えられています。封土の大半が失われており、石室がむき出しの状態。遺物として、須恵器の杯蓋が2つと、台付長頸壺が見つかっています。埋葬施設は、南西に開口した横穴式石室。自然石を組み合わせた無袖式の石室で、規模は幅1.32m、長さ7m以上、現存高さ1.15mを測ります。
という訳で、中に入って見ることに。石室が露出しているためか、かなり風化が進んでいます。羨道の天井石は失われていますが、玄室にはいくつかの天井石が残されています。ただ崩れそうなオーラを発してるので、サラッと見学。
オーコ9号墳の次は、少し南西に下ったところにあるオーコ10号墳へ。ここは石室の大半が失われているらしく、目印が全くありません。ひたすら山中をグルグル徘徊していると、服が完全にボロボロに。そんなこんなで、オーコ10号墳らしきものを発見。
まあまあ地面ですね
石室の基底部だけが残るという情報があったので、おそらくこちらがオーコ10号墳と思われます。もしかしたらただの地面かもしれませんが。発掘調査が行われておらず、このような姿なので墳形や規模は不明。埋葬施設は南西に開口した石室と思われます。
そんな地面古墳であるオーコ10号墳を後に、最後の目的地オーコ8号墳へ。オーコ10号墳からやや南東に歩いたところに、オーコ8号墳が存在します。少し歩くと茂みが終わり、開けた場所に。
この辺りは廃ブドウ畑だったのか、謎の針金が至る所にあり、意外と難所。そんなこんなで彷徨っているうちに、なんとかオーコ8号墳を発見。イノシシの影に怯え、茂みに突入し、道無き道を進み、謎の針金と格闘するという、まさに難関古墳。とりあえず、運動不足のアラフィフが野生の山を徘徊するのはヤバいです。
オーコ8号墳は、7世紀中頃に築造されたと考えられています。こちらも石室を覆う封土が失われているため、墳形や規模については不明。一説によると、全長17m~20mの方墳もしくは円墳ではないかとのこと。古くから開口しており遺物は多くありませんが、須恵器の長頸壺の頸部、杯蓋、土師器の杯2つが見つかっています。
埋葬施設は、南西に開口した横口式石槨。石室規模は、石槨長2.05m、羨道長3.75mで、全長約5.8mを測ります。羨道の側壁前面が斜めにカットされているのが非常に特徴的。おそらくこの部分は築造時から露出しており、墳丘の角度に合わせてカットしたものと考えられています。
という訳で、中に入ってみることに。内部は平らに加工された切石が用いられています。天井と側壁の隙間には板状の石材で調整され、漆喰も多く用いられているとのこと。
こちらが石槨部で、羨道と同様に切石が用いられた精緻な構造。横口式石槨ということで、内部はかなり狭め。おそらく追葬を想定していなかったのでしょう。これほど精巧に石材を組み合わせた石室は珍しく、苦労して訪れたかいがありました。
8号墳と9号墳は、近い時期に築造されたと考えられています。9号墳が自然石を用いた横穴式石室であるのに対し、8号墳は切石を用いた横口式石槨となっています。同じ墓域に築造されていることから、同じ集団の墓と考えられていますが、この違いにどのようなことが起因するかは分かっていません。
オーコ古墳群の被葬者については分かっていませんが、この一帯を本拠地とした「飛鳥戸氏」が有力な候補として挙げられています。飛鳥戸氏は、百済の王族である昆伎王を祖とする渡来系の豪族でした。ただ、飛鳥戸氏の活躍についての資料が少なく、どのような集団であったかについてはよくわかっていません。
それにしても、誰もいない静かな山の中に古墳がヒッソリあると、まさに墓域であることを実感します。オーコ古墳群を築いた一族にとっては、神聖な場所だったのでしょう。
ちなみに、更に南に行くと、1~7号墳もあるのですが、真冬の山の中で一人で見知らぬところにいると寂しさ抜群なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、大阪府羽曳野市にある「オーコ古墳群(8・9・10号墳)」を紹介しました。山奥にある難関古墳の名に恥じない、ハードな古墳と言えるでしょう。もう一回行けといわれたらゴメンナサイといいたいところですが、まだ見ぬ1~7号墳があるので、体力と気力とイノシシを撃破できるパワーがあればチャレンジしたいと思います。
そんな訳で、オーコ古墳群(8・9・10号墳)の紹介はこの辺で。次回はまた別の、山奥にある茂み難関古墳を紹介します。
オーコ古墳群詳細
古墳名 | オーコ古墳群 |
別名 | 王公塚古墳(オーコ8号墳) |
住所 | 大阪府羽曳野市飛鳥 |
墳形 | 8号墳:円墳or方墳 9号墳:円墳 10号墳:不明 |
全長 | 8号墳:17m~20m 9号墳:14m 10号墳:不明 |
高さ | 8号墳:不明 9号墳:不明 10号墳:不明 |
築造時期 | 7世紀中頃 |
被葬者 | 推定:飛鳥戸氏 |
埋葬施設 | 8号墳:横口式石槨 9号墳:横穴式石室 10号墳:不明 |
石室全長 | 8号墳:約5.1m 9号墳:7m以上 10号墳:不明 |
指定文化財 | 無し |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・羽曳野市史 ・羽曳野の終末期古墳 |