はい、今回は奈良県大和郡山市にある「額田部狐塚古墳(ぬかたべきつねづかこふん)」を紹介します。これまで多くの古墳が、開発により失われてきました。額田部狐塚古墳も、国道工事により消滅の危機にありましたが、ギリギリ保存されています。
実はギリギリ残っているというのは、古墳の上に国道を走らせるようにしたからです。割と強引な保存法ですが、古墳の上に国道が走っていると聞いたからには見に行かずにはいられません。そんな訳で、額田部狐塚古墳のある、奈良県大和郡山市に行ってきました。
額田部狐塚古墳とは
額田部狐塚古墳のある、奈良県大和郡山市に来ています。大和郡山市における古墳は数が少なく、また大規模な古墳も存在しません。
古墳名の「額田部(ぬかたべ)」は、地名が由来。額田部とは、「部民制(べみんせい)」という大和王権において定められた制度で、特定の職業や有力人物に仕える集団でした。この地に額田部が設置されていたことから、そのまま地名になったと思われます。額田部では「額田部氏(ぬかたべうじ)」が管理しており、額田部狐塚古墳から南西300mほどにある「額安寺」は、額田部氏の氏寺と考えられています。
額田部氏は、主に有力者に仕える豪族だったとの説が存在します。額田部狐塚古墳から南西に350mほどの場所に「推古神社」という、推古天皇を祭る珍しい神社が存在します。推古天皇の諱(いみな:本名のこと)は「額田部皇女」であることから、額田部氏は推古天皇に仕えた豪族であったとも考えられています。
そんな訳で、額田部狐塚古墳へやってきました。西名阪自動車道の「大和まほろばスマートIC」から5分以内という、好アクセスの立地にありますが、高速を使ってワザワザ額田部狐塚古墳に来る人はあまりいないかもしれません。
額田部狐塚古墳には車を停めるところがないので、古墳から1分ほどの場所にあるコンビニで買い物をして寄ることに。

なにこれ?
国道の上下線を分ける分離帯にこんもりとした部分が、額田部狐塚古墳とのこと。これだけ見ても古墳なのか確信がもてないので、もしかしたらただの土の塊なのかもしれません。
というのも、古墳のド真ん中を奈良中心道を建設したため、このような姿に。ただ、墳丘上には盛り土をしてその上に道路を敷いたため、一応残っているとのこと。

額田部狐塚古墳は、全長50m、高さ5.5mの前方部を南西に向けた前方後円墳。6世紀前半に築造されたと考えられており、表面には葺石があり、周囲には濠が巡らされていたことが分かっています。ただ周濠は築造時から水はなく、空堀だった可能性があるとのこと。

1996年に発掘調査が行われた結果、後円部北側と南側で2つの埋葬施設が見つかっています。どちらも粘土槨で、組み合わせ式の木棺が出土。北棺からは、銅鏡、冠帽の金銅片、ガラス玉、頸飾り、耳環、鉄刀、武具、馬具等が出土。南棺からは、頸飾り、耳環、鉄鍛が見つかっています。
被葬者は同時に埋葬されており、副葬品の種類から北棺には男性、南棺には女性が埋葬されていたとの説もあります。
被葬者は不明ですが、出土した円筒埴輪が尾張系の特徴を持つことから、被葬者は尾張や近江、山城、摂津地域の豪族と関連があり、継体天皇の擁立に関与した可能性が示唆されています。
先代の武烈天皇に子が無く、有力豪族は応神天皇の5代孫の継体天皇を擁立。継体天皇は越前国、近江国一帯に影響力を有していた他、尾張国の豪族から后を得ています。

墳形が前方後円墳であることも併せ、額田部狐塚古墳の被葬者は、継体天皇に仕えた豪族ではないかと考えられています。部民制は、雄略天皇以降に始まったと考えられていることから、被葬者が額田部氏でも違和感はありません。
という訳で、古墳の周りを歩いてみます。とはいっても、後円部は工場と国道のため古墳感はなにもありません。

前方部も見えているのが端っこなので、なんとなく盛り上がってる茂みにしかみえず。

副葬品も多く被葬者についても興味深い古墳ではあるのですが、見た目がこんな感じなので、激写ポイントがありません。中央分離帯にある、謎の茂み盛り土を激写しているのも不審者感満載なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は奈良県大和高田市にある「額田部狐塚古墳」を紹介しました。一見、謎の盛り土ですが、意外と全体的に残っているという古墳でした。
とはいえ案内板もないので、知らない人がみたら中央分離帯にあるただの斜面にしかみえません。大和郡山市に現存する古墳は少ないので、もう少し扱いが良くてもいいのではないのでしょうか。
そんな訳で、額田部狐塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、古墳の上に国道が敷かれた古墳を紹介します。
額田部狐塚古墳詳細
古墳名 | 額田部狐塚古墳 |
住所 | 奈良県大和郡山市額田部北町 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 50m |
高さ | 5.5m |
築造時期 | 6世紀前半 |
被葬者 | 不明(額田部氏?) |
埋葬施設 | 粘土槨 |
出土物 | 北棺:画文帯二神三獣鏡、冠帽の金銅片、ガラス玉、頸飾り、金製細環製耳環、鉄刀、鉄剣、甲札,鉄嫉,馬具、須恵器壷 南棺:頸飾り,銀製細環製耳環,鉄鍛(てつやじり) |
参考資料 | ・額田部狐塚古墳周濠部発掘調査概要報告 ・大和郡山市史 ・大和の古墳を歩く |