はい、今回は奈良県葛城市にある「鍋塚古墳(なべづかこふん)」を紹介します。この鍋塚古墳ですが、神武天皇の東征に登場した「長髄彦(ながすねひこ)」の墓との言い伝えが残されています。
そんな伝説級の人物の墓かもしれないと聞いたからには、見に行かずにはいられません。という訳で、奈良県葛城市にある「鍋塚古墳」へ行ってきました。
鍋塚古墳とは
鍋塚古墳のある、奈良県葛城市に来ています。葛城市は、奈良県の中でも特に古墳が多い地域として知られています。これには古代の名族「葛城氏」が本拠地としていたことも、理由の一つかもしれません。葛城市中部にある「屋敷山古墳」は葛城氏の墓ではないかと考えられています。

葛城氏は、天皇に幾人も后を送り、外戚として強い力を有していました。しかし雄略天皇による粛正により葛城氏は没落しています。鍋塚古墳は、ちょうど葛城氏が活躍した時代に築造された古墳。
そんな訳で、葛城市中央部の古墳を巡りながら、鍋塚古墳へ。葛城市における古墳の多くは、金剛山地の山裾に多く存在します。その中で鍋塚古墳は、平野に築造された数少ない古墳の一つ。葛城市を南北に貫く主要幹線である、県道30号線のすぐ脇に築造されており、近づくとすぐに分かりました。

ツーブロック古墳ですね
側面はキレイに草木が刈り込まれていますが、墳頂は盛大に草木が茂りまくっています。こんなに茂みにコントラストをつけた古墳は、珍しいのではないでしょうか。
そんなツーブロックな鍋塚古墳は、5世紀前半に築造された直径46mの円墳。葛城市において、初期に築造された古墳とのこと。葺石の有無は不明ですが、朝顔形埴輪片、鰭つき円筒埴輪片が出土。また墳丘には周濠が巡らされていたようです。ただ埋葬施設については、分かっていません。

被葬者についても不明ですが、地元では「長髄彦」の墓との言い伝えが残されています。長髄彦は、饒速日命(にぎはやひのみこと)に仕える、大和国を本拠地とする豪族でした。神武天皇が東征で大和国に入ると、饒速日命は従ったものの、長髄彦はそれに従わず神武天皇に敵対。神武天皇の攻撃に長髄彦は劣勢に陥りますが、降ることはありませんでした。最後は、饒速日命により殺害され、神武天皇の東征が完了します。ただ鍋塚古墳は、5世紀前半の築造なので長髄彦の墓である可能性は低いと思われます。

鍋塚古墳のすぐ北側には、日本最古の官道とされる「竹内街道」が通っています。古くから河内国と大和国を結ぶ街道として利用されており、河内国側では大王の権威を示すため巨大前方後円墳がいくつも築かれています。鍋塚古墳も竹内街道沿いにあることから、地元の首長が権威を示すために築造した古墳なのかもしれません。

そんな訳で、鍋塚古墳の周辺を歩いてみることに。ツーブロック感が強い古墳の南側は児童公園になっています。その近くでツーブロック感を味わってみたかったのですが、家族連れが楽しく遊んでいました。オジサンがむき出しの斜面を眺めていると怪しさ全開なので、遠くから見つめることに。これでも十分怪しいのですが。

こちらが古墳の西側。側面は半分茂みで半分ブルーシートという謎の組み合わせ。どこかに「鍋塚古墳」と書かれた案内板があるらしいのですが、どこを探しても見つからず。真冬に訪問したのですが、なぜこんなにも茂っているのか。

こちらが古墳の北側で、思いっきり茂っています。ここからだと墳丘に上れそうな感じだったのですが、突入不可能なぐらい茂っていたので断念。おそらく突入したところで「茂みですね」という感想しかないでしょう。


そんな訳で、謎のツーブロック盛り土の近くをウロウロしているのも怪しさ満点なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県葛城市にある「鍋塚古墳」を紹介しました。長髄彦の墓と伝わる古墳でしたが、残念ながら長髄彦感は全く感じられませんでした。その代わり、ツーブロック感は満喫できたので、ツーブロック古墳ファンには、満足度の高い古墳ではないでしょうか。
そんな訳で、鍋塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、長髄彦の墓と思ったらツーブロックな古墳を紹介します。
鍋塚古墳詳細
| 古墳名 | 鍋塚古墳 |
| 別名 | 無し |
| 住所 | 奈良県葛城市竹内864 |
| 墳形 | 円墳 |
| 直径 | 46m |
| 高さ | 不明 |
| 築造時期 | 5世紀前半 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | |
| 出土物 | 朝顔形埴輪片、鰭つき円筒埴輪片、 |
| 指定文化財 | 無し |
| 参考資料 | ・奈良県遺跡地図web |
