はい、今回は奈良県御所市にある「室ネコ塚古墳(むろねこづかこふん)」を紹介します。動物の名前を冠する古墳はいくつか存在しますが、こちらの古墳には「ネコ」の名が付けられた珍しい名前の古墳。
もしかすると被葬者はネコなのか?その真相を探るべく、奈良県御所市にある「室ネコ塚古墳」へ行ってきました。
室ネコ塚古墳とは
室ネコ塚古墳のある、奈良県御所市に来ています。御所市は奈良盆地の南西部に位置。この一帯は、かつて古代の名族「葛城氏」の本拠地と考えられています。
葛城氏の祖は、景行、成務、仲哀、応神、仁徳天皇の5代に仕えたとされる武内宿禰。この武内宿禰からは、葛城氏を始め、蘇我氏、巨勢氏、平群氏、紀氏などヤマト王権を支える大豪族たちを輩出しています。
その中でも葛城氏は、仁徳、履中、雄略天皇に一族を嫁がせることで大王家とも強いつながりを有していました。ただ外戚として大きな力を持ちすぎたためか、雄略天皇により葛城氏宗家は粛正。以後の葛城氏は衰退していきました。
この葛城氏の勢力圏には複数の大型の前方後円墳が築造されており、いずれも葛城氏にまつわる古墳ではないかと考えられています。その中でも、最も巨大な前方後円墳が「室宮山古墳」で、室ネコ塚古墳は、室宮山古墳のすぐ北側に存在します。
今回は、家族で御所市では有名な洋食屋さんの「わだきん」へ行ったついでに、室ネコ塚古墳へ行くことに。人気店ということで、すでに行列ができており、30分は待ちそうな感じでした。わだきんから室ネコ塚古墳までおよそ10分ほどの場所なので、ダッシュで訪問。もちろん家族は呆れていました。
8月の炎天下のダッシュはなかなか命がけで、古墳に到着した時にはすでに汗だく。室ネコ塚古墳という名前ですが、ネコ感は全くなく、墳丘は畑に魔改造されています。調べてみましたが、ネコ塚の由来は不明。ちなみに古墳名に地名の「室(むろ)」がついているのは、隣接する五條市にも「猫塚古墳」があり、区別するためと思われます。
室ネコ塚古墳は、5世紀初頭に築造された、1辺70m、高さ10mの方墳。方墳としては全国で10位圏内の規模を持ちます。発掘調査が行われていないため、周濠や葺石については不明。遺物として、緑泥片岩、刀剣類、鉄鏃、三尾鉄、三角板革綴短甲、頸甲が見つかっています。発掘調査が行われていないため、埋葬施設については不明ですが、竪穴式石室ではないかと考えられています。
主墳の室宮山古墳の被葬者は、武内宿禰の子である「葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)」の墓とも言われています。室ネコ塚古墳は、室宮山古墳の外堤に重なるように築造されており、時期や距離からも室宮山古墳の陪塚(付属墳)と考えられています。
この点から、室ネコ塚古墳と室宮山塚古墳の被葬者には強いつながりがあったようです。また武具に関する遺物が多く出土していることから、被葬者は、武器の管理者だったとの説も。
というわけで、古墳の周囲を歩いてみることに。室ネコ塚古墳は、私有地のようで、墳丘南側は畑に魔改造されています。墳丘の麓に案内板が置かれていたので、それだけ撮らせてもらいました。所有者の方がいれば声をかけて墳丘を見せてもらおうかと思いましたが、誰もいなかったのでとりあえず遠くから見つめるだけに。
古墳の東側もしっかり開墾されています。ちゃんと現役の畑のようで、いい感じにカボチャが置かれていました。
古墳の北側は一転して共同墓地に魔改造されています。畑か墓かのどちらかに魔改造されるケースは見かけますが、畑と墓のハイブリッド魔改造古墳は珍しいかもしれません。
こちらが古墳の西側。左に茂る竹林付近が墓地で、右側の木が茂っていない場所が畑になります。だから何だと言われても困りますが。
そんな訳で、見れば見るほど古墳か畑か墓か分からなくなってきました。どちらにせよ、ネコの墓ではないことだけは分かったので、とりあえず家族の元にダッシュで戻ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県御所市にある「室ネコ塚古墳」を紹介しました。ネコ塚という変わった名前の古墳ですが、ネコ感を全く感じさせない古墳です。その変わり、畑感と墓感はたっぷり味わえるので、それを体感したい人にはオススメの古墳ではないでしょうか。
そんな訳で、室ネコ塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、ネコ塚だけどネコが埋葬されていない、畑と墓のハイブリッド魔改造古墳を紹介します。
室ネコ塚古墳詳細
古墳名 | 室ネコ塚古墳 |
別名 | 無し |
住所 | 奈良県御所市室 |
墳形 | 方墳 |
全長 | 70m |
高さ | 10m |
築造時期 | 5世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 推定:竪穴式石室 |
石室規模 | 不明 |
出土物 | 埴輪片、刀剣片 |
指定文化財 | 無し |
参考資料 | ・室宮山古墳出土遣物 ・ふるさと御所 文化財探訪 第25集 |