はい、今回は奈良県明日香村にある「文武天皇陵(栗原塚穴古墳)」を紹介します。宮内庁はここを文武天皇の墓としていますが、その真相には古くから疑問の声があります。
考古学的には、栗原塚穴古墳が文武天皇陵である可能性は低いとされていますが、では本当の文武天皇陵は、一体どこにあるのか。その真相を探るべく、栗原塚穴古墳のある奈良県明日香村へ行ってきました。
文武天皇とは
文武天皇の名前は死後に送られた諡号で、諱(いみな)は「軽(かる)」とされています。過去にも孝徳天皇が「軽皇子」の諱だった他、允恭天皇の第一皇子も「木梨軽皇子」で、この3人はいずれも皇位に近い存在でした。「軽」という名前は、古代の皇族で何人かが名乗っており、特別な意味を持っていたのかもしれません。

文武天皇の父は草壁皇子、母は元明天皇。父の草壁皇子は、天武天皇と持統天皇の第2子で、本来は天武天皇の跡を継ぐ予定でした。しかし草壁皇子が早世したため、文武天皇が成人するまでの中継ぎとして、祖母の持統天皇が即位。697年に持統天皇より譲位を受け、15歳で皇位に就きました。

文武天皇の治世には大宝律令の制定や、白村江の戦い以来途絶えていた唐との修交が挙げられます。ただ25歳という若さで崩御したため、10年ほどの短い治世でした。文武天皇の後は息子の首皇子(後の聖武天皇)がまだ幼かったため、中継ぎとして文武天皇の母が元明天皇として即位しています。
続日本紀によると、慶雲4(707)年11月12日に飛鳥の岡で火葬され、同月26日に檜隈安古陵に葬られたと記されています。また延喜諸陵式にも「檜隈安占岡上陵」に葬られたことが記されています。
文武天皇陵とは
どの古墳が文武天皇陵かについては、昔から議論されていました。檜隈の地は高松塚古墳近辺であることから、一時期は高松塚古墳が候補として挙げられていました。

紆余曲折がありましたが、宮内庁は明治14年に高松塚古墳から200mほど南に位置する、「栗原塚穴古墳」を文武天皇陵に比定。山陵史において、谷森善臣は次のように記しています。
栗原村の字「あんどく」が「あんこう」と書かれるものもありそれが「安古」がなまったものであろう
栗原塚穴古墳を文武天皇陵に比定した理由は、谷森善臣の説を採用したと考えられています。ちなみに文久年間に陵の補修が行われる以前から古墳は破壊されており、墳形や埋葬施設については分かっていません。
そんなわけで、奈良県明日香村にある文武天皇陵へやってきました。この陵は、高松塚古墳や中尾山古墳などが並ぶ丘陵地の先端部に位置しており、付近一帯は古墳が集中するエリアとなっています。

丘陵地の先端部ということで周囲は開けており、開放感のあるビジュアル。陵墓として改修される際に、五角形の柵で周囲を囲んでいます。
こちらが参道の入口。案内板と簡単な説明文が設置されていました。


天皇陵は丘陵地や町中にあることが多く、陵域が窮屈なケースをよく見かけます。しかし、文武天皇陵は余裕のあるつくりのため、ゆっくりと見ることができます。

こちらが文武天皇陵の遥拝所。とくに他の天皇陵と違いはありません。

柵の手前には『文武天皇檜隈安古上陵』と刻まれた石柱が建てられていました。

古墳の周囲を歩いてみると、柵の奥を見ることができます。特に墳丘が見える訳でもなく、茂みが見えるだけ。

それまでの歴代天皇は土葬が主流でしたが、持統天皇から火葬へと移行し、文武天皇も火葬されたと記録にあります。埋葬施設には遺骨だけを納めればいいため、横穴式石室のような大規模な空間は不要です。

文武天皇陵の埋葬施設は不明ですが、横穴式石室であった可能性がるようです。そのため実際にこちらが文武天皇陵である可能性は低いとのこと。すぐ北の高松塚古墳も、横口式石槨に木棺が納められていたため、文武天皇陵の候補からは外れます。
檜隈安古の範囲にある古墳では、中尾山古墳が最も文武天皇陵の最有力候補とされています。中尾山古墳は8世紀初頭に築造された古墳で、文武天皇の崩御時期と一致。また墳形は、皇族クラスに用いられる『八角墳』が採用されています。

埋葬施設は横口式石槨を用いていますが、玄室は成人男性を納めることとができない小ささでした。玄室の底は、1cmほどの高さの窪みが作られており、火葬された骨を入れた壺を置くための場所と考えられています。時期、墳形、埋葬施設から考えると、中尾山古墳が文武天皇の墓である可能性が、高いのではないでしょうか。
まとめ

今回は、奈良県明日香村にある「文武天皇陵(栗原塚穴古墳)」を紹介しました。文武天皇の墓であるかについては疑問がありますが、丘陵地の開けた雰囲気の中で、静かにたたずむ姿が印象的な古墳でした。
というわけで、文武天皇陵の紹介はこの辺で。次回はまた別の、天皇陵だけど本当の天皇陵じゃないらしい古墳を紹介します。
文武天皇陵(栗原塚穴古墳)詳細
古墳名 | 栗原塚穴古墳 |
宮内庁名 | 檜隈安古岡上陵 |
別名 | ジョウセン塚 |
住所 | 奈良県高市郡明日香村平田410−1 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 28m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 不明 |
被葬者 | 宮内庁:文武天皇 |
埋葬施設 | 不明 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・案内板 ・天皇陵総覧 |
案内板
陵名を檜隈安古岡上陵と称する。文武天皇は、追尊 岡宮天皇(草壁皇子)の皇子で慶雲4年(707年)6月に崩御され、11月に飛鳥岡で火葬の上、この陵に葬られたことが「続日本紀」にみられる。