はい、今回は奈良県桜井市にある「文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)」を紹介します。この文殊院西古墳ですが「国の特別史跡」に指定されている数少ない古墳として知られています。
国の特別史跡は、約60件が登録されており、古墳に限定すると文殊院西古墳以外には、石舞台古墳など数基しかありません。そんな国の特別史跡である文殊院西古墳は、「阿倍内麻呂(阿倍倉梯麻呂)の墓」との説があります。阿倍内麻呂の墓かもしれない国の特別史跡の古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、奈良県桜井市にある「文殊院西古墳」へ行ってきました。
文殊院西古墳とは
文殊院西古墳のある、奈良県桜井市に来ています。桜井市南部は、メスリ山古墳や艸墓古墳など、古墳時代前期から終末期にかけて、長期間にわたり古墳が築造されてきました。特に阿部丘陵には、終末期の巨大石室を有する古墳が多数築かれています。
文殊院西古墳は、その名の通り「安倍文殊院」の境内に存在します。安倍文殊院は、もともとは645年に安倍内麻呂が現在地より西南300mに「安倍寺」を建立したことが由来。平安時代に兵火のため一時焼失しましたが、鎌倉時代に現在地にて再興し、現在に至ります。
そんな訳で、安倍文殊院へ参拝しながら文殊院西古墳へ行ってみることに。文殊院西古墳は、境内の駐車場を出て少し南側に存在し、お寺の参拝者は自由に見学することができます。
文殊院西古墳は、7世紀後半に築造された円墳。封土の大半が失われているため正確な規模は不明ですが、直径25~30m、高さ6mほどの規模と考えられています。
埋葬施設は、全長12.48mの両袖式横穴式石室。花崗岩を精巧に加工した切石を組み合せて構成されています。室町時代には既に石室は開口していたようで、遺物や棺については分かっていません。
そんな訳で、文殊院西古墳の中に入ってみることに。こちらが玄室手前の羨道部で、長さ7.39m、羨道幅2.1m、高さ1.97mを測ります。高さが充分にあるため、屈まずに歩くことが可能。
一般的に横穴式石室に使用される石材は自然石を用いるケースが大半ですが、文殊院西古墳では平らに加工された切石を使用。羨道部では、巨石を3列に1段積みし、天井石には2つの巨石を用いています。
こちらが玄室で、規模は長さ5.1m、奥壁幅2.86m、高さ2.77mを測ります。玄室は切石を5段に積み、天井石は1石を用いています。側壁に使用されている石材のうち巨石については、筋を入れて2石使用している風に見せ、均一感を出すこだわりがみられます。
ちなみに、石室内には弘法大師により造られたと伝わる「願掛け不動」が祭られています。
文殊院西古墳の被葬者は不明ですが「安倍内麻呂(あべのうちのまろ)」、野墓との説があります。安倍内麻呂は、孝徳天皇の治世においてNo.2である左大臣の地位に就いた人物。この時期は、中大兄皇子らによる乙巳の変で、蘇我入鹿が殺害。父の蘇我蝦夷も自害に追い込まれて、蘇我氏宗家が滅んでいます。これまでは豪族たちによる合議制により国を治めていましたが、中大兄皇子や中臣鎌足による大化改新により、中央集権体制へ向けて改革が行われていきます。
その中で安倍内麻呂は、政権内に置いて、右大臣の蘇我倉田村石川麻呂とともに豪族側の代表する地位にあったようです。この体制の変革においては有力豪族や皇族の粛正が行われ、蘇我倉田村石川麻呂、古人大兄皇子、有馬皇子などが謀反の罪を被せられ殺害されています。その中で安倍内麻呂は649年に亡くなるまで、左大臣の地位にありました。
安倍内麻呂の亡くなった時期が7世紀中頃とややズレはありますが、安倍氏の本拠地にこれほどの古墳を築いた人物としては、安倍内麻呂が相応しいのではないかと考えられています。
ちなみに安倍文殊院には文殊院西古墳の他に「文殊院東古墳」も存在します。こちらは、文殊院西古墳より少し早い6世紀前半に築造された古墳。石室は自然石を用いており、文殊院西古墳とは異なる構造。他にも境内には古墳の石材と思われる石が散在していることから、この一帯は墓域として利用されていたのかもしれません。
これ程の精緻な横穴式石室は見たことがなく、かなり見応えのある古墳でした。また石室内は照明により明るく、気軽に見学できる古墳ではないでしょうか。特にツッコミどころもなく満足感に包まれたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県桜井市にある「文殊院西古墳」を紹介しました。今まで見てきた横穴式石室の中では、群を抜いて精巧に構築された石室でした。国の特別史跡に登録されるだけの価値は、十分にあるでしょう。また文殊院の文殊菩薩も圧巻で、文殊院西古墳を訪れる際は参拝しておきたいところです。
そんな訳で、文殊院西古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、阿部内麻呂の墓かもしれない古墳を紹介します。
文殊院西古墳
古墳名 | 文殊院西古墳 |
別名 | 無し |
住所 | 奈良県桜井市阿部645 |
墳形 | 推定:円墳 |
直径 | 25-30m |
高さ | 6m |
築造時期 | 7世紀後半 |
被葬者 | 推定:阿倍内麻呂 |
埋葬施設 | 横穴式石室(両袖式) |
石室規模 | 12.48m |
出土物 | 無し |
指定文化財 | 国の特別史跡:1952年3月29日 |
参考資料 | ・桜井市史 |
案内板
西古墳は、飛鳥時代に造立されました。
国の指定史跡の中で特に重要である「特別史跡」に指定されています。(古墳の特別史跡指定は全国でも数件で、明日香の石舞台古墳、キトラ古墳、高松塚古墳などがあります。)
西古墳の内部は、大化元年649当時のまま保存されており、石材は良質な花崗岩を加工し、左右対称に石組 みがされています。また玄室の天井岩は一枚の石で、 大きさは15m2あり、中央部分はアーチ状に削られています。古墳内部の築造技術の美しさは日本一としても定評があります。
現在、この古墳には弘法大師が造られたと伝わる「願掛け不動」がお祀りされていますが、本来は大化元年に初の左大臣となり当山を創建した安倍倉梯麻呂の墓と伝えられています。