はい、今回は奈良県桜井市にある「宮の前古墳(みやのまえこふん)」を紹介します。古墳と神社の相性は抜群なのか、古墳の上に神社が建てられたり、神社内に古墳があるケースはよく見られます。
宮の前古墳は後者のパターンで、神社の境内に保存された古墳です。だだ、古墳名は宮の前ですが、実際には宮の横に存在します。宮の前という名前なのに、宮の横にある古墳があると聞いたからには見に行かずにはいられません。そんな訳で、どれだけ宮の横にあるのかを確認するべく、奈良県桜井市に行ってきました。
宮の前古墳とは
宮の前古墳のある、奈良県桜井市に来ています。宮の前古墳のすぐ西には、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳など、数多くの古墳が存在。その中で、古墳時代前期に築造されたものは「纒向古墳群」といわれています。

今回は、箸墓古墳など周辺の古墳を巡りながら、宮の前古墳へ。宮の前古墳の周辺は、ホケノ山古墳、堂の後古墳、茶ノ木古墳、北口塚古墳、慶運寺裏古墳など、古墳が密集したエリア。築造時期は、古墳時代前期~後期と幅広く、長期間に渡り古墳が継続的に築造されたようです。

宮の前古墳は、その名前の通り國津神社の境内に存在。國津神社の由緒は分かっておらず、誰がいつ創建したのかは分かっていません。祭神は、アマテラスの御子神五柱とされる「天津彦根命」「天忍穂耳命」「活津彦根命」「天穂日命」「熊野樟日命」そして「素戔嗚尊」の6柱。素戔嗚尊以外の5神は、天照大神と素戔嗚尊の間に生まれた神様として知られています。

それにしても、國津神社という名前なのに国つ神が1柱もおらず、全員が天つ神というのもよく分かりません。神社名にするならば、國津神社ではなく、天津神社ではないでしょうか。神社の名前にケチを付けてもバチが当たりそうなので、反省しながら参拝へ。
情報によると、宮の前神社は、本殿の東側にあるとのこと。そちらに行くと稲荷社があり、その背後に盛り土らしきものがありました。ある意味、稲荷社を基準とするならば、古墳名は、宮の後古墳ということになります。

そんなことはどうでもいいので、ひとまず稲荷社でお参りし、宮の前古墳を確認します。発掘調査が行われていないため詳細は不明ですが、直径15mほどの円墳と考えられています。遺物、築造時期、埋葬施設などの詳細は全く不明。

古い記録によると、墳頂に花崗岩の石材が露出していたとのことで、もしかすると横穴式石室なのかもしれません。上ってみようかと思いましたが、枯れ葉が大量に積もって歩きづらいので断念。
横穴式石室と聞くと横に穴が開いているイメージですが、石室が崩れて上部が開いているパターンもあります。上ったら、枯れ葉に隠れていた穴に落ちるという危険もあるので、今回は枯れ葉に埋もれた盛り土を見つめるだけにしておきました。

周りをまわってみようにも、茂みと枯葉ばかりで近づくのも大変。境内の外から眺めてみましたが何となく墳丘がみえるぐらいです。というわけで、境内にある謎の盛り土を見つめ続けていても仕方がないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県桜井市にある「宮の前古墳」を紹介しました。宮の前古墳という名前ですが、宮の横に存在するという、やや異議がでそうな古墳です。いや、誰も気にしないので異議なんてないでしょうが。宮の横古墳にすると少し子供っぽくなるので、宮の東古墳ぐらいでいいかもしれません。
そんな訳で、宮の前古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、宮の横にある宮の前古墳を紹介します。
宮の前古墳詳細
古墳名 | 宮の前古墳 |
住所 | 奈良県桜井市箸中 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 約15m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
石室全長 | 不明 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 不明 |
参考資料 | 奈良県遺跡地図WEB |