はい、今回は兵庫県姫路市にある「見野10号墳(のみじゅうごうふん)」を紹介します。見野古墳群に属するこの見野10号墳ですが、別名「姫路の石舞台」と呼ばれています。
石舞台というのは、奈良県明日香村にある、巨石を用いた石舞台古墳を指します。そんな石舞台を称する古墳が姫路市にもあると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、兵庫県姫路市にある「見野10号墳」へ行ってきました。
見野10号墳とは
見野10号墳のある、兵庫県姫路市に来ています。姫路市は兵庫県で3位の広さを持つということで、数多くの古墳が存在。特に姫路市御国野町にある「壇上山古墳」は全長142mを測り、兵庫県3位の規模の古墳として知られています。

姫路市には古墳も数多く存在していますが、その大半は山の中にあったりと、整備された古墳は多くありません。見野10号墳が属する「見野古墳群」はその中でも珍しく、史跡公園として整備された訪れやすい古墳となっています。
見野古墳群は14基の古墳から構成されていますが、調査次第ではまだ増える可能性があるとのこと。ただ大半の古墳は半壊しており、比較的まともな姿で残る古墳は3、4、6、10号墳となります。

見野古墳群周辺には、坂元山古墳群、火山古墳群、阿保古墳群などの群集墳が存在します。見野古墳群はその中でも、比較的大型の横穴式石室をもつ古墳で構成されているとのこと。
そんな訳で、見野古墳群を巡りながら見野10号墳へ。見野古墳群の入口には、整備された公園ということで巨大な看板が設置されていました。看板にはメインイメージとして見野10号墳と「姫路の石舞台」のキャッチフレーズが。

公園に向かうと道の端に大きめの石がゴロゴロと置かれていますが、これは見野9号墳とのこと。油断してると見逃してしまいます。

見野9号墳を少し北に歩くと交差点があり、左に行くと公園の中心部になりますが、その反対側の右に曲がり住宅地へ入ります。曲がった先に空き地があり、そこに見野10号墳が存在します。

まあまあの石舞台ですね
石舞台古墳のような巨石は用いていませんが、石室全体が露出しているため、なかなかの迫力があります。封土が完全に失われ、羨道も含めた状態で残る古墳も珍しいかもしれません。

ちなみに、丹波篠山市にある石くど古墳も「丹波の石舞台」と呼ばれています。こちらは玄室が残るだけなので、兵庫県の石舞台対決は、見野10号墳に分がありそうです。

見野10号墳は、7世紀中頃に築造されたとされる古墳。元の墳形について調べてみましたが、情報が見つからなかったため不明。他にも石室以外の情報が少なく、周濠などの外部施設は不明。遺物についてもよく分かりませんでした。

埋葬施設は、南側に開口した無袖式の横穴式石室。見野10号墳の石室規模は、玄室の長さ4.2m、羨道6.6mで全長が10.86mを測ります。

一般的に羨道は玄室と比べて幅が狭いため、その幅の差分が「袖」と呼ばれます。初期の横穴式石室は左右どちらかに寄った「方袖式」が多く、その後は玄室に対して中央に位置する「両袖式」が主流となります。終末期に入ると、玄室と羨道が同じ幅の「両袖式」が増えてきました。こうした構造の変化からもある程度の築造年代が予想できます。

そんな訳で、姫路の石舞台をじっくり見ていくことに。こちらが開口部の南側。天井石が落ち込んでいるため、中に入ることはできません。

こちらが北の奥壁側。奥壁、側壁、天井石は1枚の巨石により構成しており、意識して配置しているとのこと。

こちらは奥壁側から見た石室内部。石室としての体は成していますが、ところどころ石材が抜き取られて歯抜け状態になっています。玄室は1枚の巨石で構成されていますが、羨道の側壁は2段から3段から構成されているようです。

石材が抜かれて歯抜けになっており、不安定な部分があるのか所々につっかえ棒が配置されていました。

被葬者は不明ですが、周辺の群集墳の中では石室規模も大きいことから、一帯でもかなりの勢力を有した一族の墓ではないかと思われます。見野古墳群から南東に650mほどの場所には、白鳳時代に建立されたとされる「見野廃寺」が存在します。距離と見野10号墳の築造時期が近いことから、見野廃寺を建立した一族の墓との説も。
この見野10号墳は、2019年に3、4、6号墳とともに兵庫県の史跡に登録されています。見た目もインパクトが有り、見野古墳群の中では見ておきたい古墳の一つではないでしょうか。
まとめ

今回は、兵庫県姫路市にある「見野10号墳」を紹介しました。姫路の石舞台というにはやや非力感を感じますが、約11mの石室が露出しているのは、なかなかの迫力があります。残念ながら中に入ることはできませんが、一見の価値はあるのではないでしょうか。
そんな訳で、見野10号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、どこかの石舞台と呼ばれる古墳を紹介します。
見野10号墳詳細
古墳名 | 見野10号墳 |
別名 | 姫路の石舞台 |
住所 | 兵庫県姫路市四郷町見野619 |
墳形 | 不明 |
規模 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 7世紀中頃 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(無袖式) |
石室規模 | 10.86m |
指定文化財 | 兵庫県の史跡: |
出土物 | 不明 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
見野古墳群10号墳「姫路の石舞台」 見野古墳群は市川東岸の代表的な古墳群であり、通有の後期群集墳と比較すると、比較的大型の横穴式石室をもつ古墳で構成されています。とりわけ、10号墳の石室は最大で、築造時期は見野古墳群の中で最も新しいとみられています。10号墳の封土(古墳を築きあげるために盛り上げられた土)はほとんど失われていて、巨石を使用した大型の横穴式石室がむきだしになっています。その姿は奈良県明日香村の石舞台古墳を連想させ、「姫路の石舞台」としてよく知られています。 全長が10.86m、玄室の長さ4.2m、幅が2.15〜2.42m、高さが1.4〜1.78mです。羨道(せんどう)の幅は2mあります。玄室の天井と隔壁は1枚岩で構成することを指向しており、この構造は、7世紀中頃に築造された最も新しい段階の石室であると考えられます。袖石として柱状石が立てられていますが、袖幅は40cmと狭く、玄室と羨道には羨門柱石ともいうべき大型石材が縦積みにされています。10号墳の力強い姿は見るものを魅了し、石室本来の姿を視察するには格好の教材と言えます。見野古墳群の被葬者は不明ですが、見野古墳群の南東650mに存在した見野廃寺(650年頃白鳳時代創建)を支えた有力者と推定されています。