はい、今回は兵庫県丹波篠山市にある「的場古墳(まとばこふん)」を紹介します。的場古墳は、情報がほとんど無い、墳丘にドデカイクレーターのある田んぼ古墳です。
とりあえず、情報が無く墳丘にドデカイクレーターのある古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、兵庫県丹波篠山市にある「的場古墳」へ行ってきました。
的場古墳とは
兵庫県は古墳の数が日本一ということもあり、丹波篠山市にも多数の古墳が存在します。しかしその多くは、山の中にあるため、気軽に行ける古墳は多くありません。その中でも、的場古墳は平地の田園地帯にある古墳ということで、比較的訪れやすい古墳となっています。
そんなわけで、今回は家族で丹波篠山市へ旅行に来たので、そのついでに周辺の古墳を巡ることに。丹波篠山市の古墳といえは、彦坐王王子丹波道主命の陵墓参考地とされている「雲部車塚古墳」が特に知られています。的場古墳は、雲部車塚古墳から南東に3キロほど離れた場所に存在します。

家族は古墳に一切興味がないので、泊まった翌朝に一人で見に行くことに。今回宿泊した丹波篠山市福住は、かつて京都に向かう宿場町として、江戸時代には参勤交代の道として利用されてきました。今も古い町並みが残されており、国の重要伝統的建造物保存地区に選ばれています。

そんな歴史的な街道を、朝の6時から古墳を見に行くために歩きますが、もちろん誰もいません。福住の集落の南側は田園地帯になっており、的場古墳はその中に存在します。

まあまあ茂った盛り土でした
早朝なので、古墳を見に来ている人は誰もいません。とは言え昼でもここへ古墳を見に来る人は、10年で3人ぐらいでしょう。もちろん案内板も無く、これが古墳と気づく人もいないと思われます。

古墳名は、旧地名の「福住字的場」が由来と思われます。色々と調べてみましたが、古墳情報がほとんどありません。古墳に関する情報としては「丹波篠山市の史跡一覧」に記載された「径11m×7m、高さ2m で、周囲の水田に須恵器が散布する。」の情報のみ。
小型の円墳で須恵器が見つかっていることから、おそらく古墳時代後半に築造されたものと思われます。古墳時代後半の古墳は、山中に築かれることが多いのですが、的場古墳は平地に築造されています。ただ元々は平地にも多数存在したものの、開墾により失われた古墳もあるのかもしれません。的場古墳の近くには、川原古墳や川の塚という古墳時代後半に築造された古墳が存在しますが、どちらも半壊しています。

そんな訳で、古墳の周囲を見てみることに。こちらが古墳の南側。墳丘の中央部が大きく凹んでおり、クレーター状になっています。

隕石が衝突したわけではなく、おそらく盗掘を受けて石室が破壊されたのかもしれません。分かりにくいですが、茂みの中から石室の石材らしきものが見えました。

離れた所から見ると小さな古墳に見えましたが、近くで見るとそこそこの規模を感じます。開墾により周囲が削られている可能性もあり、築造時はもう少し大きな古墳だったのかもしれません。
あぜ道沿いにもう少し近づくことも出来そうですが、近づいても「凄い茂みですね」という感想しかなさそうなので諦めることに。早朝から、謎の盛り土をグルグル激写しているのも怪しさ抜群なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、兵庫県丹波篠山市にある「的場古墳」を紹介しました。情報が少なく謎の多い古墳ですが、墳丘に大きな穴が空いたクレーターが印象的でした。丹波篠山市には古墳が多数存在しますが、平地で見られる古墳は意外と少ないので、雲部車塚古墳を巡るついでに行くのもいいかもしれません。
そんなわけで、的場古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、墳丘に大きなクレーターの空いた古墳を紹介します。
的場古墳詳細
| 古墳名 | 的場古墳 |
| 別名 | 無し |
| 住所 | 兵庫県丹波篠山市福住 |
| 墳形 | 円墳 |
| 直径 | 11m×7m |
| 高さ | 2m |
| 築造時期 | 不明 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 不明 |
| 出土物 | 須恵器 |
| 指定文化財 | 無し |
| 参考資料 | 丹波篠山市の文化財一覧 |
