はい、今回は大阪府和泉市にある「マイ山古墳」を紹介します。謎の名前の古墳ですが、住宅地の公園に謎の姿で移設保存された古墳です。
謎な名前でよく分からない姿の古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府和泉市にある「マイ山古墳」へ行ってきました。
マイ山古墳とは
大阪府和泉市にある「マイ山古墳」に来ています。マイ山古墳の少し北には泉北丘陵が広がっており、古墳時代には全国で最大の須恵器の生産地でした。そのため、多くの豪族が須恵器に関わっていたようで、陶器千塚古墳群、牛石古墳群、檜尾塚原古墳群など、多くの古墳が存在します。


泉北丘陵から少し南側にあるマイ山古墳一帯にも複数の古墳が存在しますが、泉北丘陵ほど数は多くありません。今回は、マイ山古墳の近くにヒバモール和泉中央があるので、そこで買い物をしたついでにマイ山古墳へ。駐車場から3分ほど歩くと住宅地に入り、その中に小さな公園があります。どうみても古墳がありそうな雰囲気は無いのですが、公園の南側に柵に囲まれたエリアを発見。

近付いてみると案内板があり、こちらがマイ山古墳で間違いないようです。柵の中に入り、古墳を見てみると。

なにこれ?
柵に囲まれた狭いエリアに、石が埋まっている謎エリア。もう、これを見て古墳と見破れる人がいたらエスパーでしょう。
マイ山古墳は、前方部を北西に向けた全長26mの前方後円墳。出土した土器の形状から、6世紀中頃に築造されたと考えられています。葺石や埴輪が見つかっていないことから、築造時から存在しなかったとのこと。マイ山古墳は「松尾谷」に築造された古墳で、この一帯は5世紀末までに開発が始まりました。マイ山古墳の被葬者は、この一帯を開発した一族の墓と考えられています。
埋葬施設は後円部から2基、前方部から1基出土しましたが、全て盗掘を免れています。後円部の第1主体部は、5.6m×2.4mの墓壙に木棺を直葬。この木棺の内部には赤色顔料が塗布されていました。副葬品として、大刀、鉄鏃、首飾など20点が出土。また、棺の外には須恵器と土師器が出土しています。
後円部の第2主体部は、1.2m×0.4mの竪穴式小石室に、直接埋葬されたと考えられています。副葬品として、首飾、刀子、鉄鏃が出土。第1主体部と同じく、石室の外側に須恵器が見つかっています。


前方部の第3主体部は、3.3m×1.6mの墓壙に木棺を直葬。副葬品としては紡錘車が出土。土器類に関しては、第1・2主体部と異なり、棺内に納められていました。
埋葬状況、副葬品などから考えて、第1主体部は第2、第3主体部の被葬者に比べて序列が高いと考えられています。こうした点から、第1主体部には、この一帯を治めた男性の有力者が埋葬。第2主体部は、石室の規模が大変小型であることから、有力者の子供。第3主体部には有力者の妻が埋葬されているのではないかと考えられています。
マイ山古墳の被葬者としては、地名が「唐国」であること、韓式土器が見つかっていることから、渡来系の豪族との説もあります。前方後円墳であることから、ヤマト王権とつながりがあったようですが、副葬品が質素であることから、あまり裕福な土地ではなかったのかもしれません。
現在の姿になるまでは、比較的良好な姿で墳丘が残されていました。しかし2009年に古墳周辺の開発計画が持ち上がります。開発業者側は古墳保護に前向きで、和泉市も周辺に存在する貴重な前方後円墳として保存の方向で進めていました。

しかし開発計画上どうしても本来の状態で残すことができなかったとのこと。そのため、唯一の構造物である第二主体部の竪穴式小石室のみを公園横に移設し、現在の姿となっています。ただ、この経緯が案内板に書かれていないため、この石が古墳の何なのかがサッパリ分からないことになっています。

発掘調査は詳細に行われ、被葬者の時代背景などが伝わり大変興味深い古墳といえます。ただ、いかんせん目の前にあるのが、謎の石でした。しばらく謎の石を見つめていたら、公園で遊んでいた子供にメチャクチャ見つめられていたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府和泉市にある「マイ山古墳」を紹介しました。古墳という名の石が埋まっただけのものですが、発掘調査の記録をみると、家族の墓と思わせる古墳のようです。古墳の埋葬状況をみるに、なかなか苦労された一族であることがうかがえるので、謎の石と思わずにじっくり見ていただければと思います。見ている姿を、公園で遊んでいる子供にじっくり見られているかもしれませんが。
そんな訳で、マイ山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、古墳という名の石が埋められている古墳を紹介します。
マイ山古墳詳細
| 古墳名 | マイ山古墳 |
| 別名 | なし |
| 住所 | 大阪府和泉市唐国町3丁目5 |
| 墳形 | 前方後円墳 |
| 全長 | 26m |
| 高さ | 不明 |
| 築造時期 | 6世紀中頃 |
| 被葬者 | 不明 |
| 埋葬施設 | 後円部1:木棺直葬 後円部2:竪穴式小石室 前方部:木棺直葬 |
| 墓域規模 | 後円部1:5.6m×2.4m 後円部2:1.2m×0.4m 前方部2:3.3m×1.6m |
| 指定文化財 | 無し |
| 出土物 | 後円部1:須恵器(蓋杯・小壺・高杯)、土師器甕 後円部2:首飾、鉄鏃、刀子、杯身、堤瓶、高杯、須恵器 前方部:紡錘車、須恵器小壺 |
| 参考資料、 | ・案内板 ・和泉市考古学調査報告書Ⅰ |
案内板
マイ山古墳は、2007(平成19) 年に行った発掘調査により全貌が明 らかになりました。墳丘は全長30メートル以上の前方後円墳で、後円部に2基、前方部に1基の埋葬施設 が確認されました。それぞれの埋葬施設は未盗掘で、須恵器をはじめと した土器、鉄器や玉類など多様な副葬品が出土しました。土器の中には、 朝鮮半島で製作されたと考えられる ものもありました。古墳の築造年代 は、6世紀中ごろと考えられます。
平成23年3月31日
和泉市教育委員会
