はい、今回は奈良県葛城市にある「首子1号墳(くびこいちごうふん)」を紹介します。首子1号墳は、10基ほどからなる「首子古墳群」のうちのひとつです。
この首子1号墳ですが、石棺を直接埋めた「直葬」と、横穴式石室に石棺を納めたという、2種類の異なる埋葬施設を持つ、珍しい古墳です。1つの墳丘に2つの異なる埋葬方法がとられた古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。ということで、奈良県葛城市にある「首子1号墳」へ行ってきました。
首子1号墳とは
首子1号墳は、首子古墳群を構成する古墳の一つで、当麻寺の北に広がる丘陵地帯に築かれています。

首子古墳群が築かれた当時、この一帯は大和平野を見下ろす緩やかな丘陵地帯が広がっていました。古代の幹線道路である竹内街道にも近く、交通の要衝をなしていたことに加え、二上山のふもとにもあたり、石棺などに使われた凝灰岩の産出地にも近い場所でもありました。交通と資源に恵まれた立地だったため、早くから人々が集まり、拠点を築いたと考えられます。

周辺には、現在も残る当麻寺や石光寺、さらに石光寺の北側には加守廃寺といった古代寺院跡が存在します。それぞれが当時の氏族によって建立された「氏寺」であったとみられ、当時この地域には複数の豪族が拠点を構えていたと思われます。

そんなわけで、首子古墳群を巡りながら、首子1号墳へ。10基ほどの古墳で構成された首子古墳群ですが、開墾などにより半数以上失われており、見ることができるのは、1、4、5、8号墳の4基になります。なお、それぞれ異なる構造や築造時期を持っており、首子古墳群全体が一族の墓域として段階的に整備された可能性もあります。中でも1号墳は最も高所に位置し、首長的立場にあった人物の墓であったと考えられます。
周辺に駐車場がないため、当麻寺近くのコインパーキングに車を停め、首子1号墳へ。のどかな田園地帯を歩いていると、ほどなく古墳が見えてきました。

茂った盛り土ですね
古くは「櫟山古墳(いちやま)」と呼ばれていましたが、後に周辺の複数の古墳とあわせて「首子古墳群」として整理された際に、「首子1号墳」とされました。築造時の首子1号墳は、直径18〜20m、高さ約5mの円墳だったと推定されています。しかし現在は基底部が大きく削られ、墳丘は著しく低くなっています。現状の高さは約3mほどしかなく、元の姿を想像するのは難しい状態です。

首子1号墳は、石棺直葬と横穴式石室という2種類の埋葬施設を備えた珍しい古墳。第1主体は6世紀中頃に築造されたと考えられ、墳丘中央に掘った土壙に石棺を直接安置する「直葬」の形式が採られました。
石棺は二上山産の凝灰岩で作られ、天井石3枚、底石4枚、小口石2枚、側石2枚の計13枚で構成。現在、石棺は橿原考古学研究所附属博物館に保存・展示され見ることができます。

第1主体の家形石棺内からは、金環や棗玉(なつめだま)、銀製空玉(うつろだま)が出土。ただし、盗掘を受けていたため、ほとんどの副葬品は持ち去られたとみられます。
その後に追葬された第2主体は、1主体からやや西にずれた位置に築かれた横穴式石室。6世紀後半に築造され、玄室長3.0m、幅1.5m、高さ約1.1m、羨道長2.95m、幅1.8mという規模を測ります。
また、第2主体の横穴式石室からは、須恵器が複数出土。長頸壺、無蓋長脚高坏、坏蓋、甕などが確認され、さらに飛鳥時代から奈良時代、中世にかけての土器・瓦器の破片も見つかっており、石室が後世にも利用されていたことがうかがえます。
被葬者については明らかではありません。ただ、首子1号墳は当麻寺にほど近い丘陵上に築かれ、首子古墳群の中でも最も高所に位置しています。また、墳丘からは、金環や棗玉、銀製空玉といった比較的格式の高い副葬品が納められていました。こうした点から、当麻地域を拠点とした有力氏族、なかでも当麻氏との関わりがある可能性もあります。
当麻氏はこの地を本拠とした古代の有力豪族で、『日本書紀』や『古事記』にもその名が登場します。特に石棺の材料である二上山産の凝灰岩は、当麻氏が勢力を築いたこの地域で盛んに産出され、経済的基盤の一つになっていたとも考えられています。
ということで、首子1号墳を見てみることに。石棺直葬と横穴式石室を持つ珍しい古墳ということですが、石室は博物館にあり、横穴式石室は埋め戻されているため茂った盛り土しかありません。

首子古墳群は、1981年3月17日に奈良県の史跡に登録されていますが、案内板もありません。おそらくこれをパッと見て古墳と気がつく人がいたらエスパーでしょう。

墳丘にのぼれそうな気もしますが、目の前が住宅地なので、見知らぬオジサンが盛り土を登ったり降りたりしていたら、完全に不審者案件なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県葛城市にある「首子1号墳」を紹介しました。1つの墳丘に異なる埋葬方法を持つ古墳という、珍しい古墳でした。ただ行ってみるとすべて埋め戻されており、茂った盛り土を見つめるしかありません。茂った盛り土を見たくて仕方がない人には、オススメの古墳ではないでしょうか。県の史跡に登録されているので、せめて案内板ぐらいあればと思うところです。
そんなわけで、首子1号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、異なる埋葬施設を持つ茂み古墳を紹介します。
首子1号墳詳細
古墳名 | 首子1号墳 |
別名 | 櫟山古墳 |
住所 | 奈良県葛城市當麻670 |
墳形 | 円墳 |
規模 | 推定:直径18〜20m |
高さ | 推定:5m |
築造時期 | 第1主体:6世紀中頃 第2主体:6世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(方袖式) |
石室全長 | 5.95m |
史跡指定 | 奈良県の史跡:1974年3月25日 |
出土物 | 第1主体:金環、棗玉、銀製空玉 第2主体:須恵器(長頸壺、無蓋長脚高坏、坏蓋、甕) |
参考資料 | 首子遺跡群発掘調査報告 |