はい、今回は奈良県高取町にある「小谷5号墳(こたにごごうふん)」を紹介します。学校内に古墳が保存されるケースは、文化財保護を啓蒙するという観点から数多く存在します。この小谷5号古墳も学校の敷地に存在する古墳の一つ。
学校内に保存されている古墳は、グラウンドなど校内に存在する場合が多く、見学には許可をもらう必要があります。ただ小谷5号墳は、校門を出てすぐの脇に保存されているので、比較的気軽に見に行くことが可能。そんな校門の脇に保存されているという古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、奈良県高取町にある「小谷5号墳」へ行ってきました。
小谷5号墳とは
小谷5号墳のある、奈良県高取町に来ています。高取町は与楽カンジョ古墳や束明神古墳など、終末期における古墳が多く築造されています。


小谷5号墳も、束明神古墳と谷を挟んで東側の丘陵地に築造。もともとは、丘陵の北端付近に15基の古墳が築造され「小谷古墳群」と称されていました。ただ高取国際高校の建設により、大半の古墳が消滅。現在、小谷5号墳のみが校門の脇に移設保存されています。
そんな訳で、リベルテホールに車を止めさせていただき、周辺の古墳を巡りながら小谷5号墳へ。行く途中牧場があり、「牛フンあります」と看板が掲げられていました。売ってくれるのか、譲ってくれるのか、見せてくれるのか謎なんですが、牛フンにも何かしらの需要があるのかもしれません。

訪問日は、土曜日ということもあり、高校周辺にはほとんど人はいません。丘陵地にある学校ということで、坂道を上り、校門の手前に到着。

目的の小谷5号墳は、左側の擁壁の上に保存されていました。案内板も設置されており、比較的情報は充実。ただ、真正面からだと擁壁をよじ登る必要があり、アラフォーには少しハードルが高め。しかもオジサンが学校の近くの道路の擁壁を登っていたら完全に不審者です。

とりあえず擁壁の低いところまで移動して到着。こちらが、小谷5号墳になります。

スーパー大逆光でした。
石室の正面が西を向いていたため、昼過ぎにくると思いっきり逆光でした。一般的に石室は南側に開口しているので、普通はこんなにも逆光になることはありません。ただ小谷5号墳は、移設されたということで、この向きになってしまったのでしょう。小谷5号墳は、7世紀代に築造された直径15mの円憤。周囲には、幅3.5mの空濠が存在したとのこと。

埋葬施設は、両袖式の横穴式石室。ただ後世に石材は持ち去られており、現在は側壁と奥壁の一部が残るのみ。

案内板によると、玄室長2.84m、羨道長4.06mということなので、全長は約7m程。少しわかりにくいかもしれませんが、写真の中央で段違いになっているところが、羨道と玄室の境目と思われます。

石室内に棺は残っていなかったようですが、木棺が納められていたと考えられています。小規模な古墳で木棺が納められていたということなので、ほどほどの有力者の墓だったのかもしれません。

そんな訳で、半壊した石室の周りをグルグルと激写していたのですが、部活帰りの学生とかが出てきて見られると不信感満載なので、ほどほどのところで帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県高取町にある「小谷5号墳」を紹介しました。学校内にある古墳は、敷地の奥やグラウンドなどに保存されているケースが多く、なかなか簡単に見ることはできません。小谷5号墳は、校門の外にあるため、比較的訪れやすい古墳ではないでしょうか。
そんなわけで、小谷5号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、校門の脇に保存された古墳を紹介します。
小谷5号墳詳細
古墳名 | 小谷5号古墳 |
別名 | なし |
住所 | 奈良県高市郡高取町観覚寺1272 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 15m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 7世紀代 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(両袖式) |
石室全長 | 6.9m |
指定文化財 | なし |
出土物 | 須恵器、土師器 |
参考資料 | ・案内板 |
案内板
小谷5号古墳説明
この古墳は、校舎造成以前に体育館付近の尾根にあったものを、郷土学習の資料とするために、ここに移築保存したものである。墳丘は15mの円墳で、周りに幅3.5mの空濠を伴っていた。内部構造は、両袖式の横穴式石室であったが、後世の採石によって大部分の石材が持ち去られた。
石室は、玄室幅1.79m、玄室長さ2.84m、羨門部幅0.9m、羨道長さ4.06mあり、その高さは、天井石が現存しないため確認できない。出土した副葬品の須恵器・土師器や内部構造から見て、7世紀代に築造されたと考えられる。