はい、今回は兵庫県芦屋市にある「金津山古墳(かなづやまこふん)」を紹介します。
金津山古墳は、阿保親王により「黄金が埋められた」との伝説があり、別名「黄金塚」とも呼ばれています。黄金があると聞いたからには、すみやかに調査せずにはいられません。そんな訳で、兵庫県芦屋市にある「金津山古墳」へ行ってきました。
金津山古墳の黄金伝説
金津山古墳のある兵庫県芦屋市にきています。芦屋市に現存する古墳は5基ほどと少なく、墳丘を留める古墳は金津山古墳以外には阿保親王塚古墳しか存在しません。そんな貴重な古墳ということで、金津山古墳は、2010年3月19日に芦屋市指定文化財に指定されています。
金津山古墳の周辺にはいくつかの古墳が存在しましたが、開墾や開発により消滅。金津山古墳から100mほど西には、阪神間における5世紀末最大規模とされる「打出小槌古墳」が存在しましたが、マンション建設により消滅しています。
芦屋市における古墳時代中期の古墳は「阿保親王塚古墳(4世紀)」→「金津山古墳(5世紀後半)」→「打出小槌古墳(5世紀末)」の順番で築造されています。また規模も36m(円墳)→55m(帆立貝形古墳)→58m(前方後円墳)と規模も大きくなっています。当地を治めた歴代豪族の墓だとすると、徐々に勢力が大きくなっていることがうかがえます。
そんな訳で阪神打出駅から金津山古墳へ向かうことに。駅から少し歩いたところには「阿保親王廟」と掘られた石碑が置かれていました。このまま北へ行くと、宮内庁により阿保親王の墓に比定されている「阿保親王塚古墳」に行くことができます。
平城天皇の長男である阿保親王は、在原業平の父にあたる人物。本来なら天皇に就く地位にありましたが、薬子の変に巻き込まれ失脚。ただ、直接関わっていないことから、後年に許されています。
阿保親王は芦屋に領地を持っており、領民を大切にしたと伝わっています。そのためか、金津山古墳には、阿保親王が黄金を埋めたという伝説が残されています。
金津山の黄金伝説
芦屋市指定史跡 金津山古墳より(芦屋市教育委員会)
金津山古墳は、別名「黄金塚」「金塚」とも呼ばれていました。そして、それらの名称の由来となった、次の様な伝説があります。
平安時代(1200年前)、阿保親王(平城天皇の皇子で在原業平の父)の別荘が打出にありました。阿保親王は村人たちを愛し、この村に飢饉が起こったときにために備え金瓦一万、黄金一千枚を埋めたと伝えられています。
また、江戸時代には打出の村人が「朝日のさす入日かがやくこの下に、金千枚、瓦万枚」と歌っていたそうです。
このような伝説から、黄金が埋まっている古墳ということで、「金津山」「黄金塚」などと呼ばれるようになりました。
ただ、阿保親王が芦屋に領地を持ったという資料はなく、実際に芦屋に住んでいたのかは不明。また阿保親王塚古墳も4世紀築造の古墳なので、実際には阿保親王の墓ではありません。
そんな訳で駅から徒歩3分ほどの、住宅地にある金津山古墳に到着。住宅に囲まれていますが、南側のコインパーキングから墳丘をみることができます。ただし周囲にはフェンスが張り巡らされているため、中に入ることはできません。
金津山古墳は、5世紀後半に築造された全長55m、高さ4.4mの帆立貝形古墳。鎌倉時代に前方部は削平されており、現在は円墳の姿をしています。芦屋市の資料では後方部が小さい前方後方墳とも記載されています。
築造時には、墳丘に葺石が施されていたことが判明しています。ただ、周濠の有無については不明。墳丘からは、円筒埴輪の他、鶏形埴輪などが出土しています。
埋葬施設は粘土槨ですが、被葬者は分かっていません。阿保親王が活躍した時代よりもかなり前に築造されている古墳なので、阿保親王とは関係ないと思われます。
古墳の東側に細い通路があり、こちらからも古墳を見ることが可能。奥には案内板が設置されており、簡単な説明が記載されていました。
こちらから間近に墳丘を確認できますが、特に何があるわけでもありません。黄金が見つかるかと思いましたが、あるのは大量の土でした。
おそらく被葬者は地元豪族の墓と思われます。副葬品は不明ですが、黄金塚という名前がついているため、盗掘を受けているのかもしれません。そんな訳で、住宅に挟まれた細い通路で謎の盛り土を激写していると不審人物なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、兵庫県芦屋市にある「金津山古墳」を紹介しました。黄金伝説が伝わる古墳でしたが、見渡す限り盛り土が広がる素敵な古墳でした。そもそも阿保親王と時代がズレているので全ての情報が怪しいのですが、芦屋市の阿保親王愛だけは強く感じました。
という訳で、金津山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、黄金伝説が残る古墳を紹介したいと思います。
金津山古墳詳細
古墳名 | 金津山古墳 |
住所 | 兵庫県芦屋市春日町3−14 |
墳形 | 帆立貝形古墳(前方後円墳) |
全長 | 55m |
高さ | 4.4m |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 粘土槨 |
出土物 | 円筒埴輪、鶏形埴輪 |
指定文化財 | 市の史跡:2010年3月19日 |
参考資料 | 芦屋市指定史跡 金津山古墳 |
案内板
金塚黄金塚を別称にもつ市内最大の墳丘を残す古墳で、昔々打出の村人を愛した阿保親王が万一の飢餓に備えて財宝をこの塚に埋めたという伝説があります。周濠部分の調査をくり返し、全長55m、後円部径40m,前方部長15mの前方後円墳であることが判明しています。
平成19年6月:芦屋市教育委員会