はい、今回は奈良県桜井市にある「兜塚古墳(かぶとづかこふん)」を紹介します。石室がむき出しになった古墳はよく見かけますが「石棺がむき出し」という古墳はあまり見かけません。兜塚古墳は、なぜか墳頂に石棺がむき出しで置かれた珍しい古墳。
ただ、兜塚古墳の特徴はそれだけではありません。周りの雰囲気も独特で、何かとインパクトのある古墳なんです。そんな訳で、石棺がむき出しになった独特の雰囲気が漂う「兜塚古墳」に行ってきました。
古墳周囲のクセが強い
桜井市は、古墳の多いエリアとして知られています。古墳時代初期に築造された巨大前方後円墳「メスリ山古墳」から、終末期古墳の「文殊院西古墳」など、長きにわたって古墳が築造され続けました。
という訳で、桜井市の古墳を巡りながら兜塚古墳へやってきました。Googleマップの口コミによると「雰囲気が悪い」との書き込みがあり、どんな雰囲気かと不思議に思っていました。ただ、雰囲気がいい場所にある古墳というのもあまりない気もします。
古墳へ上るには、歩道脇の一段上がった細いわき道を通って古墳に向かいます。歩道から直接階段じゃ駄目だったんでしょうか…
古墳の周囲には厳重にフェンスが張り巡らされ、物々しい雰囲気が漂っています。どうやら古墳が私有地と接しているようで、境界を明確にしているようです。
歩いていると、警告の注意札がいくつも目に入ります。張り巡らされたフェンスと合わせ、雰囲気が悪いと感じる人もいるでしょう。
墳丘には階段が設置されており、簡単に上ることができます。
上って真っ先に目に入ったのは、隣接する私有地の壁に設置された「建物を写すな」的なことが書かれた巨大看板。Googleマップを見ると、古墳の隣は大きな屋敷になっており、写真の撮り方によっては屋敷内が写ってしまうかもしれません。
桜井市観光協会の兜塚古墳のページにも「民有地に近く、見学時は迷惑がかからないように留意ください。」と記載されていました。もしかすると、過去にトラブルがあったのでしょうか。
という訳で、細心の注意を払って古墳だけが収まるように激写します。こちらが墳頂の全景。前方部と後方部の高さがほぼ変わりません。古墳は、かなり削られている様子。
兜塚古墳は、5世紀末~6世紀初頭に築造された前方後円墳。桜井市西部に位置し、北西に伸びる丘陵の先端に築かれています。規模は全長50m、高さ19mで、表面に葺石が施されていました。
円筒埴輪の破片が見つかっていることから、築造時には円筒埴輪が置かれていたと考えられています。
後円部には、竪穴式石室ではなく「竪穴石槨」が存在します。竪穴石槨とは、小型の河原石を用いた磚(せん)積状の石室とのこと。桜井市では、塼槨式石室など独自の埋葬施設が存在する地域です。磚積状の石室というのは、のちの塼槨式石室のさきがけだったのかもしれません。
その独特な埋葬施設に置かれていたのが、こちらの石棺です。埋葬施設の大半が失われているということで、石棺がむき出しの状態。
兜塚古墳の石棺は、長さ2.1m、幅1m、高さ1mの刳抜式家形石棺。蒲鉾状の蓋石の両側面には縄掛突起が各2個備わっています。
石棺の特徴として「阿蘇ピンク石」で作られている点。阿蘇ピンク石は、文字通り九州から産出する凝灰岩の一種。奈良盆地における阿蘇ピンク石製の石棺は、野上古墳や東乗鞍古墳など、あまり例がありません。
石を産出する九州では、阿蘇ピンク石製の石棺が見つかっていません。この石材は大和王権が管理し、特別な人物に与えていたと考えられています。
兜塚古墳の規模は全長50mほどですが、5世紀末から6世紀初頭に築造された前方後円墳のなかでは、大規模な古墳になります。古墳の規模や特別な石棺という点から、兜塚古墳の被葬者は、大和王権の中でもかなりの有力者だったのかもしれません。
ちなみに本来はピンク色という石棺ですが、今は普通に茶色でした。内部を見るとわずかにピンク色が残るとのことでしたが、なぜか狭い方の穴から撮影したため全然わかりませんでした。
兜塚古墳は、2000年に桜井市の指定史跡に登録されています。市の史跡なら大抵案内板が設置されているのですが、兜塚古墳にはありません。色々と配慮することがあるのでしょうか。
そんな訳で、石棺は見応えがあるのですが、なにやら居心地はあまり良くないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県桜井市にある「兜塚古墳」を紹介しました。写真ではお伝えしづらいのですが、微妙な緊張感のある古墳で、撮影には気を遣いました。しかしながら、1500年前の石棺が目の前で見られるというのは非常に珍しいのではないでしょうか。
という訳で、兜塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、変な雰囲気の場所にある石棺がむき出しになった古墳を紹介します。
兜塚古墳詳細
古墳名 | 兜塚古墳 |
住所 | 奈良県桜井市上之宮322 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 50m |
高さ | 19m |
築造時期 | 5世紀末~6世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 竪穴石槨 |
出土物 | 碧玉製管玉、琥珀製棗玉、銀製空玉、金銅製馬具、玻披璃製小玉、鉄鏃 |
史の史跡 | 2000年6月12日 |
参考資料 | ・大和の古墳を歩く ・桜井市史 |