はい、今回は奈良県斑鳩町にある「甲塚古墳(かぶとづかこふん)」を紹介します。古墳の世界では「盛り土と思ってたら古墳だった」というケースがありますが、逆に「古墳と思ってたら盛り土だった」というケースもあります。
甲塚古墳も長年、盛り土疑惑を抱えていましたが、近年の発掘調査で遂に古墳と判明。晴れて古墳を名乗ることができたという訳で、その勇姿を確かめるべく甲塚古墳へ行ってきました。
見た目は斜面にある盛り土
甲塚古墳のある、奈良県斑鳩町に来ています。甲塚古墳は山地から伸びる丘陵地にあり、周辺にも多数の古墳が存在しています。
特に甲塚古墳のすぐ東にある「藤ノ木古墳」は、豪華な副葬品が出土したことで、知られています。ただ、藤ノ木古墳と甲塚古墳では築造時期に100年近い開きがあるため、関連は薄いかもしれません。
そんな訳で、藤ノ木古墳を見た後に甲塚古墳へやってきました。
完全に盛り土ですね
今まで数多くの古墳か盛り土か分からないものをみてきましたが、斜面にある盛り土は初めてかもしれません。だから何だと言われても困りますが。
甲塚古墳は、錦ヶ丘と呼ばれる丘陵東端に存在。西は宅地、北は農道により削平され、古墳の姿をとどめているのは、東から南にかけての部分となっています。
土地の所有者は国ですが、管理は斑鳩町が行っています。ちなみに周囲にはロープが張られているため、中に入ることはできません。
見た感じはただの盛り土にしか見えませんが、2020年の発掘調査で埋葬施設が見つかり、古墳と確定しました。詳しい埋葬施設は不明ですが、木棺を直葬したと考えられています。資料によると、真ん中の木の辺りに埋葬施設が出土したようです。
もともと一辺10mほどの方墳と考えられていましたが、発掘調査の結果20mの円墳と推定されています。ただ、墳丘は大きく削平されているため、詳細は調査中とのこと。
またいくつかの石列が見つかっていますが、詳細は不明。墳丘の半ばに石がいくつか見えていますが、これが石列かどうかはわかりません。
発掘調査により墳丘から、重圏文鏡、鎌倉時代の土師器と瓦が出土。出土品が非常に少ないことも、古墳を疑われる一因だったのでしょう。
また埴輪が出土していないため、古墳の築造時期が確定しにくいようです。重圏文鏡だけが築造時期を判断できる材料ということですが、今のところ古墳時代前期〜中期頃ではないかとのこと。
墳丘をじっくり見ようかと思いましたが、中にはいることもできない上、見られる範囲も限られています。
あと写真には写していませんが、古墳に接する家がかなりオープンで、近くで激写していると人が出てきそうなオーラが漂っていたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県斑鳩町にある「甲塚古墳」を紹介しました。古墳か盛り土かの決着がついたようですが、出土物がかなり少ないということで、築造年代の特定がかなり難しい様です。
一見、斜面にある盛り土にしか見えませんが、実際行ってみるとやっぱり盛り土にしか見えませんでした。発掘調査である程度情報がまとまり、案内板が設置されると嬉しいところです。
という訳で、甲塚古墳の紹介はこの辺で。次回は、また別の古墳か盛り土か分からなかった古墳を紹介します。
甲塚古墳詳細
古墳名 | 甲塚古墳 |
住所 | 奈良県生駒郡斑鳩町龍田北1丁目11 |
墳形 | 円墳(推定) |
直径 | 約20m(推定) |
高さ | 不明 |
築造時期 | 古墳時代前期〜中期 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 木棺直葬 |
出土物 | 重圏文鏡、土師器羽釜(鎌倉時代)、瓦(鎌倉時代) |
参考資料 | 甲塚古墳発掘調査報告書Ⅱ 甲塚古墳発掘調査報告書Ⅲ 甲塚古墳発掘調査報告書Ⅳ |