はい、今回は奈良県大和郡山市にある「堀ノ内古墳(ほりのうちこふん)」を紹介します。住宅地にある古墳は、微妙に扱われがちですが、堀ノ内古墳も例に漏れず微妙な感じの古墳。
そんな訳で、微妙な姿で残された堀ノ内古墳がどれぐらい微妙なのかを確かめるべく、奈良県大和郡山市にある「堀ノ内古墳」へ行ってきました。
堀ノ内古墳とは
堀ノ内古墳のある、奈良県大和郡山市に来ています。堀ノ内古墳の近くには駐車場がないため、徒歩3分ほどの場所にあるローソンで買い物したついでに寄ることに。
古墳へ歩いていると、地元のおばあちゃんに挨拶をされました。地元では見かけない怪しい人物だったので、牽制してきたのかもしれません。もちろんニッコリと挨拶を返しました。

そしてたどり着いた堀ノ内古墳が、こちらになります。

何これ?
墳丘はほとんど失われ、真ん中を歩道がブチ抜いています。こんな状態ですから、埋葬施設などは残っていないでしょう。
かろうじて墳丘の周りをぐるっと周濠らしき堀が巡っているのが、唯一の古墳らしさなのかもしれません。

かつては竹林に被われた茂みでしたが、後ろに見えるお家の巨大な庭のようになっています。
堀ノ内古墳は、直径20mの円墳。墳丘からは埴輪片が見つかっており、その形状から古墳時代後期に築造されたと考えられています。
堀ノ内古墳のすぐ近くには「額田部狐塚古墳」という前方後円墳が存在します。額田部は、古代に設置された「部民制(べみんせい)」という大和王権における制度で定められたもので、特定の職業や有力人物に仕える集団でした。古墳名から、この辺りには額田部が置かれていたと考えられています。

額田部狐塚古墳の他にも「来迎墓ノ間古墳群」「上窪田古墳群」など数多くの古墳が存在しました。その点から、これらの古墳は、額田部を管理していた一族の墓との説があります。堀ノ内古墳の被葬者は不明ですが、もしかすると額田部を管理していた一族の墓なのかもしれません。
という訳で古墳の周囲を歩いてみます。こちらが、古墳の西側。道と地面と家が見えるだけ。

こちらが古墳の東側。これを見て古墳と見破れる人は、エスパー以外にいないでしょう。

そんな訳で、人の家の前にある庭みたいなものを激写していると、おばあちゃんに捕捉されるかもしれないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県大和郡山市にある「堀ノ内古墳」を紹介しました。墳丘の真ん中を歩道が貫く、B級感あふれる古墳でした。発掘調査をしてもあまり何も出てこなさそうですが、なんとなくこのまま成り行きで消えていきそうなので、暖かく見守って欲しいところです。
そんな訳で、堀ノ内古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、墳丘の中心に道がしかれた、家の庭みたいな古墳を紹介します。
堀ノ内古墳詳細
古墳名 | 堀ノ内古墳 |
別名 | 堂塚山 |
住所 | 奈良県大和郡山市西町 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 25m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 古墳時代後期 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
出土物 | 円筒埴輪片 |
参考資料 | 奈良県遺跡地図web |