はい、今回は奈良県桜井市にある「平塚古墳(ひらつかこふん)」を紹介します。管理されていない古墳は、だいたい茂みに覆われていることが多いのですが、平塚古墳もその例に漏れず、茂み全開の古墳です。
とりあえず、茂みが全開の古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、奈良県桜井市にある平塚古墳へ行ってきました。
平塚古墳とは
平塚古墳のある、奈良県桜井市にきています。平塚古墳の南西には、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳など、数多くの古墳が存在。その中で、古墳時代前期に築造されたものは「纒向古墳群(まきむくこふんぐん)」といわれています。

箸墓古墳の周辺には、堂ノ後古墳、ホケノ山古墳、宮の前古墳、茶ノ木古墳、北口塚古墳、慶運寺裏古墳などの、古墳が密集するエリア。築造時期は古墳時代前期~後期と幅広く、この一帯では長期間に渡り古墳が継続的に築造されたようです。

そんな訳で、箸墓古墳など周辺の古墳を巡りながら平塚古墳へ。平塚古墳の周辺にも、サコシマ古墳、小川塚東古墳、小川塚西古墳、巻野内石塚古墳などが存在します。ただどの古墳も大きく墳丘が失われており、詳細は分かっていません。

平塚古墳は、纒向古墳群の東側に存在します。田園地帯をブラブラと歩いていると、平塚古墳らしきものを発見。

全力で茂みですね
冬場に訪れたにも関わらず、この茂みっぷり。夏場にきたらどれぐらい茂っているのでしょうか。知らなければ、これが古墳と分かる人は皆無でしょう。平塚古墳という名前の通り、平たい古墳なのか確かめたかったのですが、見た感じで名付けるなら「茂み塚古墳」です。

墳丘の発掘調査が行われていないため、葺石、周濠の有無については不明。墳形は、直径35mの円墳と推定されています。ただ明治時代に作成された見取り図には、南側に少し突出した部分が描かれていることから、前方後円墳との説もあります。

国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12239318
周辺の発掘調査から、円筒埴輪が出土しており、その形状から平塚古墳は、古墳時代後期に築造されたと考えられています。またこの円筒埴輪は、奈良市にある菅原東遺跡の埴輪窯で作られたものとのこと。纏向古墳群一帯では他に、珠城山3号墳と毘沙門塚古墳の2基で、菅原東遺跡埴輪窯産の埴輪が確認されています。
纒向古墳群で使用された埴輪は、在地で作られたものと、菅原東遺跡埴輪窯で作られたものがあるようです。あえて菅原東遺跡から埴輪を調達していることから、被葬者は奈良県北部の豪族とつながりを持つ人物だったのかもしれません。
そんな訳で、平塚古墳の周囲を歩いてみることに。西側は私有地に隣接しているため、見ることができません。こちらが古墳の北側。円墳か前方後円墳らしいですが、一つ言えることは「茂み」です。

こちらが古墳の西側。南に向けて細長く茂みが続いており、どこまでが古墳でどこまでが茂みなのかサッパリわかりません。こんな状態なので、南側の確認は不可能。ちなみに古墳南側の発掘調査では、弥生時代の土器や14世紀以降に作られた石組の遺構が見つかっています。

そんな訳で、知らない人が見るとひたすら茂みを激写してる怪しい人にしか見えないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県桜井市にある「平塚古墳」を紹介しました。名前の通り、平たい塚なのかを確かめたかったのですが、茂みが全開で全く分かりませんでした。冬場でこれなので、夏場はさらにパワーアップした茂みを見ることができるでしょう。茂み古墳好きの方は、是非訪れておきたい古墳といえます。
と言う訳で、平塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、茂み全開古墳を紹介します。
平塚古墳詳細
古墳名 | 平塚古墳 |
別名 | なし |
住所 | 奈良県桜井市箸中 |
墳形 | 円墳もしくは前方後円墳 |
直径 | 約35m |
高さ | 1.5m |
築造時期 | 古墳時代後期 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
石室全長 | 不明 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 円筒埴輪、朝顔形埴輪 |
参考資料 | 桜井市平成15年度国庫補助による発掘調査報告書15 |