はい、今回は大阪府堺市にある「東上野芝町1号墳(ひがしうえのしばちょういちごうふん)」を紹介します。東上野芝町1号墳は、44基の古墳で構成される百舌鳥古墳群の一つですが、世界文化遺産には含まれていません。
残念ながら世界遺産になれなかった東上野芝町1号墳ですが、かなりギリギリな姿をした古墳です。古墳かどうか分からないギリギリ古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府堺市にある「東上野芝町1号墳」に行ってきました。
東上野芝町1号墳とは
東上野芝町1号墳のある、大阪府堺市に来ています。今回は、三国ヶ丘駅で自転車をレンタルして百舌鳥古墳群を巡ることに。
東上野芝町1号墳という名前なので、西上野芝町シリーズがありそうなんですが、そのようなものは存在しません。また2号墳以降の存在を匂わせる名前ですが、1号墳しか存在しません。
もしかすると開発で失われたのかと思い消滅古墳を調べてみましたが、関連する名前の古墳は近くにありませんでした。単独の古墳なら「○○塚古墳」とかでよかったんじゃないでしょうか…
そんな謎のネーミングの東上野芝町1号墳は、百舌鳥古墳群が多く集まる大山公園のすぐ東に存在します。東上野芝町1号墳は、大山公園の敷地外にあるためか、道沿いにポツンと存在していました。
なにこれ?
二又に分かれる道の隙間にある謎の盛り土が、東上野芝町1号墳になります。
いままで色々と削平された古墳を見てきましたが、ここまで削られている古墳は、安倉高塚古墳以来。削平されすぎて古墳と呼んでいいかギリギリな感じに仕上がっています。
ちなみに周囲には柵が巡らされており、中に入ることはできません。たとえ入ることができても、こんな人の往来があるとこで、謎の盛り土に入る勇気はありませんが。
ギリギリな姿ですが、元々は直径約30mの円墳だったと考えられています。つまり、現在残されているのは円墳の端っこのみ。
発掘調査が行われていないため、築造時期、埋葬施設などは一切不明。たとえ調査が行われたとしても、円墳の端なので埋葬施設が見つかることはなさそうです。
こんな姿をしているのに立派な案内板がある!と思いウキウキしながら見てみると、古墳と全く関係ない看板でした。
ちなみに古墳の解説が書かれた、手作り感あふれる案内は柵に張られていました。百舌鳥古墳群の中でも案内板もない古墳もあるので、これだけでも助かります。
反対側に回ってみると水路を挟んで道に。ちゃんと古墳を残すために、墳丘に沿って道が敷かれています。
墳丘を見てみると、数本の木と草が生えている他には目につくものはありません。
古墳自体には何の情報もありませんが、東上野芝町1号墳の少し東側には「いたすけ古墳」という全長146mの前方後円墳が存在します。距離的に近いことから、東上野芝町1号墳は、いたすけ古墳の陪塚(付属墳)との説もあります。
その場合、5世紀前半に築造されたこととなり、百舌鳥古墳群においては初期の古墳ということになります。仮にいたすけ古墳の陪塚だとすると、東上野芝町1号墳の被葬者は、いたすけ古墳の被葬者に近い人物だったのかもしれません。
ここまで墳丘が削平されていると、発掘調査が行われたとしても、出てくる情報は少ないと思われます。そんな訳で、人の往来のある道で謎の盛り土を激写していると、様々な視線を感じるので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、大阪府堺市にある「東上野芝町1号墳」を紹介しました。西上野芝古墳も無ければ、東上野芝町2号墳もない謎のネーミングの古墳です。墳丘もダイナミックに削られており、古墳といえるかギリギリの姿をしています。ギリギリ古墳好きにはたまらない古墳ですが、一般受けは難しいかもしれません。
という訳で、東上野芝町1号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、ネーミングが不明なギリギリ古墳を紹介します。
東上野芝1号墳詳細
古墳名 | 東上野芝町1号墳 |
住所 | 大阪府堺市北区東上野芝町2丁169 |
墳形 | 推定:円墳 |
直径 | 推定:30m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
出土物 | 不明 |
参考資料 | ・案内板 ・百舌鳥古墳群をある |
案内板
発掘調査などは行われておらず、古墳の形や大きさは分かっていませんが、現在の墳丘形状から、円墳であれば直径が30m程度の大きさかと思われます。
また立地からは、JR阪和線と隔てて東側に近接する「いたすけ古墳」(5世紀前半)と関係性があるものと考えられます。