はい、今回は大阪府高槻市にある「郡家車塚古墳(ぐんげくるまづかこふん)」を紹介します。郡家車塚古墳は、数度の発掘調査により、比較的情報の多い古墳として知られています。ただ古墳の周囲は、田んぼと家とフェンスに囲われており中に入ることができません。
折角いろいろと判明しているのに見つめるしかできないのも残念な話ですが、そこに古墳があると聞いたからには見つめずにはいられません。そんな訳で、今回は大阪府高槻市にある「郡家車塚古墳」を見つめに行ってきました。
郡家車塚古墳とは
郡家車塚古墳のある、大阪府高槻市に来ています。高槻市も大阪府では、比較的古墳が多いエリア。その中でも全長190mの規模を誇る「今城塚古墳」は、高槻市を代表する古墳として知られています。
そんな今城塚古墳から北に200mほどの場所に「郡家車塚古墳」が存在します。古墳名の由来は、郡家は周辺の地名、車塚は前方後円墳を意味し、郡家にある前方後円墳という特にひねりのないネーミング。
郡家車塚古墳の周辺には今城塚古墳の他に、「前塚古墳」「岡本山古墳」「弁天山古墳」「闘鶏山古墳」など複数の古墳が存在。これらの古墳は茨木市と高槻市北部にまたがる「三島古墳群」と呼ばれています。かつて500基ほどの古墳が存在しましたが、開発により多くの古墳が消滅しました。
三島古墳群の築造時期は幅広く、郡家車塚古墳周辺の古墳でも築造時期にはバラつきがあります。その為、古墳との関連性や連続性については謎に包まれています。
古墳名 | 築造時期 | 規模 |
弁天山古墳 | 3世紀末 | 100m |
岡本山古墳 | 3世紀後半 | 100m |
闘鶏山古墳 | 4世紀前半 | 88m |
郡家車塚古墳 | 4世紀末 | 85.6m |
前塚古墳 | 5世紀中頃 | 94m |
今城塚古墳 | 6世紀前半 | 190m |
そんな訳で、JR高槻駅近くで電動機付き自転車を借りて、郡家車塚古墳に向かいます。車で行きたかったのですが、古墳が点在し近くに駐車場がない古墳もあるため、仕方なく自転車で激走。JR高槻駅から20分ほど自転車を走らせた所に「郡家車塚古墳」は存在します。
なかなかの茂みですね
郡家車塚古墳は、東西を住宅、南を田んぼ、北を謎の空き地に囲まれています。その為、全景は南側の田んぼ越しにしか見ることができません。ただ見れるといっても遠目に茂みが見えるだけですが。
郡家車塚古墳は、前方部を西側に向けた前方後円墳。全長85.6m、高さ7.4mの規模を測り、4世紀後半に築造されたと考えられています。
築造時には葺石が敷かれ、墳丘には円筒埴輪が並べられていたとのこと。郡川車塚古墳の埋葬施設としては、2ヶ所確認されています。第1主体として後円部の粘土槨に竹割形木管を埋葬。第2主体として前方部に竹割形木管を直葬しています。遺物としては、第1主体から黒漆塗槍頭が出土。第2主体からは四獣鏡の他、勾玉、管玉、ガラス小玉などの装飾品が出土しています。
という訳で、古墳の周りを歩いてみましょう。郡家車塚古墳の西側には、小さな公園があり、墳丘に一番近づくことができます。かつては、この辺りから中に入れたようですが、今は家が建っています。というか、公園の階段を上ったら柵も何もなく家の裏庭とつながっていたので焦りました。どこまでが公園で、どこから家なのかが、かなり曖昧。
北側は、広くフェンスが張られており中に入ることができません。謎の空き地を挟んで墳丘を見ることができますが、茂り過ぎてどのあたりが墳丘なのか全く不明。
ちなみに東側はビッシリと住宅地で、墳丘が見えるスペースがなさそうなので断念しました。そんな訳で、アラフィフのオジサンがフェンスにしがみつきながら謎の茂みを激写していると、怪しさ抜群なので帰ることにしました。
まとめ
今回は、大阪府高槻市にある「郡家車塚古墳」を紹介しました。田んぼと家とフェンスに囲まれて中に入ることはできませんが、遠くから茂みは堪能できました。
郡川車塚古墳は、発掘調査が行われて情報も比較的多い古墳なので、案内板があればと思いますが設置されていません。いつか気が向いたときに、設置していただければと思います。
そんな訳で、郡川車塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、田んぼと家とフェンスに囲まれた古墳を紹介します。
郡家車塚古墳詳細
古墳名 | 郡家車塚古墳 |
住所 | 大阪府高槻市岡本町 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 85.6m |
高さ | 7.4m |
築造時期 | 4世紀末 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 粘土槨と木棺直葬 |
出土物 | 黒漆塗槍頭、漆塗竪櫛、四獣鏡、勾玉、管玉、円筒埴輪、朝顔形埴輪、鰭付円筒埴輪、家形埴輪、壺形埴輪 |
参考資料 | 嶋上遺跡群18・19・20・23 |