はい、今回は奈良県斑鳩町にある「舟塚古墳」を紹介します。
もうタイトルが全ての古墳なので説明不要なんですが、駐車場にあるブルーシートに覆われた古墳です。しかもそれ以外にほとんど情報がなく、見どころはブルーシートしかありません。(色はブルーじゃないですが、便宜上ブルーシートと記載します)
という訳で、舟塚古墳がどんなブルーシート古墳なのかを紹介したいと思います。
法隆寺の駐車場に存在するブルーシート古墳
舟塚古墳のある奈良県斑鳩町にきています。斑鳩町といえば、日本最古の木造建築である「法隆寺」があまりにも有名ですね。
法隆寺は、厩戸皇子(聖徳太子)が亡き父(用明天皇)のために建立した寺院として知られています。ちなみに、7世紀に建立された姿で残されているといわれていますが、天智天皇の時代に焼失したため再建されています。
といっても1000年以上もその姿を残していることから、歴史的価値は非常に高いでしょう。そんな由緒あるお寺の駐車場に舟塚古墳は存在します。ちなみに法隆寺には昔行ったことがあるのでスルーです。
家族には「法隆寺のほうに行く」と伝えていただけなので、まさか法隆寺にきて法隆寺を見ず、謎のブルーシートを見せられるとは思ってもいなかったでしょう。完全に孔明の罠ですね。
法隆寺にはいくつか駐車場がありますが、法隆寺の管理する駐車場は、一番離れた場所にあります。他の駐車場に停めても古墳はないので注意が必要。ちなみに法隆寺付近の駐車場は、どこも1日500円という良心的な値段。
舟塚古墳は、駐車場入口付近のトイレ横に存在します。車から降り立つと、謎の盛り土へ一直線に走って行った私を見て、家族も色々と察したようです。「ヤッパリあれ目的だったのか…」と。
舟塚古墳の現在の姿は、直径約5mの円墳。ただ、元々の墳形、築造時期、埋葬施設、被葬者などは分かっていません。
GoogleMapで事前に確認した時の舟塚古墳は、花壇のような姿をしていました。しかし実際に行ってみると、全体的にブルーシートが被せられています。ただ、基底部は周囲を石で固められており、花壇古墳の面影はしっかりと残されています。
駐車場の管理人さんになぜブルーシートが被されているのかを尋ねてみると、大学生グループが発掘調査を行ったためとのこと。調査の結果、壺がでてきたそうです。
ちなみに駐車場のオジサンは、よくこれが古墳とわかったなという顔をしていました。
舟塚古墳は、かつて「樟(クスノキ)の船」が出土したという言い伝えが名前の由来となっています。恐らくそれは船ではなく、1本の木をくり抜いて作られた「割竹形木棺」ではないかとの説があります。いずれにしても、その船らしきものは残されていないので、全く不明。
とりあえず1周回ってみましょう。こちらが北側から見た舟塚古墳。完全にブルーシートです。
こちらは南側から見た舟塚古墳。完全にブルーシートですね、お疲れさまでした。
墳丘にはブルーシートが飛ばないよう、これでもかと土嚢が積まれています。これぐらい載せておけば吹き飛ぶ心配はないでしょう。
ていうか、今後この古墳はどんな姿になるんでしょうね?もしかしてこのまま?
とりあえず、家族が秒で飽きて帰りたがってきたので、近くのカフェでケーキを食べてなんとか家庭崩壊を食い止めることができました。
まとめ
今回は、奈良県斑鳩町にある「舟塚古墳」を紹介しました。花壇古墳かと思っていたら、実はブルーシート古墳というまさかの展開に驚きを隠せません。
花壇古墳と見せかけたブルーシート古墳を見たいという人には、ぜひ押さえておきたい古墳といえます。
という訳で、舟塚古墳の紹介はこの辺で。次回は、また別の駐車場にあるブルーシート古墳を紹介したいと思います。
舟塚古墳詳細
古墳名 | 舟塚古墳 |
住所 | 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺1丁目8 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 6世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
参考資料 | なし |