はい、今回は奈良県平群町にある「平等寺東古墳(びょうどうじひがしこふん)」を紹介します。名前からして寺の東にある古墳と思いますが、実は神社の東にある古墳なんです。
だから何だと言われても困るのですが、寺の東と思わせて神社の東にある古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、奈良県平群町にある「平等寺東古墳」へ行ってきました。
平等寺東古墳とは
平群町は、西に生駒山地、東に矢田丘陵に挟まれた地にあり、古代の名族「平群氏」の本拠地ともいわれています。矢田丘陵側には、主に古墳時代後期の古墳が多数存在し、そのうち平等寺東古墳を含めて6基を見ることができます。今回は矢田丘陵側の古墳を巡るついでに、平等寺東古墳へやってきました。
古墳名から平等寺という寺の東にある古墳を想像しますが、実は「平等寺」とは地名。名前の由来は「平等寺地区の東にある古墳」なのでしょう。ちなみに地区名の由来となる平等寺という寺があるのかというと、それは存在しません。では、過去に平等寺という寺が存在したのかと、調べてみるも情報は無し。平等寺が一体どこから来たのかは謎。
という訳で、寺は存在しませんが古墳に隣接するように春日神社が存在します。春日神社の祭神は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」で、全国の春日神社で祀られている神様。

もともと全国の春日神社では、神仏習合の影響が強い春日権現を祀っていました。しかし明治政府による神仏分離政策により、春日権現の崇拝が禁止。本来の姿である天児屋根命を祀るようになったようです。春日神社の由緒は不明ですが、現在のところ平等寺東古墳との直接的な関係を示す記録は見つかっていません。
ということで春日神社で参拝し、平等寺東古墳を探しに向かいます。情報によると、春日神社の裏手の丘陵に古墳が存在するとのこと。裏手に回ってみましたが道らしきものは存在せず、藪漕ぎ決定です。

幸い冬場に訪問したため藪は大したことはありませんが、夏場に来たら大苦戦していたことでしょう。落ち葉で滑りそうになりながら、少し斜面を上ったところに、平等寺東古墳らしき盛り土を発見。

墳丘に近づいてみると、墳頂に石室の石材らしきものが露出していました。こちらが平等寺東古墳のようです。

平等寺東古墳は、直径約12mの円墳と考えられています。発掘調査が行われていないため詳細は不明ですが、古墳時代後期に築造されたとのこと。埋葬施設は横穴式石室ですが、すでに半壊しており石材が散らばっています。石室の入口らしき場所がありましたが、石材は傾いて半ば土により埋まっていました。遺物についても、詳しいことは分かっていません。

とりあえず古墳のまわりをグルグル回っていたのですが、ふと斜面の南側をみると溜め池が目に入りました。落ち葉でツルッと滑って、そのまま溜め池にスーパーダイブするはめになりそうだったので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県平群町にある「平等寺東古墳」を紹介しました。寺の東にあると思わせて、神社の東にあるという古墳です。石室は崩れており「岩ですね」という感想しかありませんが、岩古墳マニアにはぜひ訪れておきたい古墳ではないでしょうか。岩古墳マニアがどんな人なのかはしりませんが。
そんな訳で、平等寺東古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、寺の東にあると思わせて神社の東にある古墳を紹介します。
平等寺東古墳詳細
古墳名 | 平等寺東古墳 |
住所 | 奈良県生駒郡平群町平等寺241 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 12m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 古墳時代後期 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 不明 |
参考資料 | 奈良県遺跡地図web |