はい、今回は奈良県桜井市にある「弁天社古墳(べんてんしゃこふん)」を紹介します。古墳と神社は相性が良いらしく、古墳の上に神社が建てられたり、境内に古墳が保存されるケースをよく見かけます。
こちらの弁天社古墳は、更に一歩進んだ「本殿と石室が大融合した古墳」に仕上がっています。本殿と大融合した神社古墳と聞いたからには見に行かずにはいられません。そんな訳で、本殿と大融合した弁天社古墳を見るべく、奈良県桜井市に行ってきました。
弁天社古墳とは
弁天社古墳のある、奈良県桜井市に来ています。弁天社古墳の北西には、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳など、数多くの古墳が存在。その中で、古墳時代前期に築造されたものは「纒向古墳群(まきむくこふんぐん)」といわれています。

弁天社古墳の少し北は、堂ノ後古墳、ホケノ山古墳、宮の前古墳、茶ノ木古墳、北口塚古墳、慶運寺裏古墳など、古墳が密集したエリア。築造時期は、古墳時代前期~後期と幅広く、長期間に渡り古墳が継続的に築造されたようです。

弁天社古墳は、箸墓古墳から徒歩15分ほどの場所に存在。弁天社古墳の周辺にも複数の古墳があり、茅原大墓古墳、ツヅロ塚古墳、ツクロ塚古墳、石神塚古墳などを見ることができます。

弁天社古墳は、纒向古墳群に位置する古墳では、ほぼ最南端に位置。ここから南は大神神社の神域が近いためか、周辺に古墳があまり存在しません。

そんな訳で、茅原の集落に入り弁天社古墳へ。弁天社古墳は、富士神社・厳島神社の境内に存在。本殿には、富士神社・厳島神社の祠がそれぞれ祭られています。こちらの神社は、大神神社の境内外の末社とのこと。そのため、大神神社により管理されているのかもしれません。

富士神社の祭神は、木花咲耶姫命(このはなのさくやびめ)で、富士浅間大社と同じ祭神を祀っています。案内板によると、江戸時代に浅間信仰が大和にもおよび、富士山登拝の際して、当社にお参りする習わしになったとのこと。ただ詳しい由緒は不明で、創建時期などは分かっていません。
もう1社の厳島神社の祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめ)で、神仏習合により「弁才天」とされている神様。大神神社の北にある鎮女池に鎮座する市杵島姫神社より分霊して祀っているとのこと。
市杵島姫命は水にまつわる神様ということで、池の中に祭られるケースがよくみられます。以前紹介した「稗沢池古墳」も池の中にあることから「弁天さん」とも呼ばれていました。弁天様を祀る神社にあることが「弁天社古墳」の由来となっているようです。

そんな弁天様が由来となった弁天社古墳は、本殿の裏側に存在します。古墳の封土は完全に失われており、石室もほぼ半壊状態。

弁天社古墳の発掘調査は行われていないため、墳形や葺石・埴輪・周濠・遺物の有無などは分かっていません。ただ石室の造りから、古墳時代後期に築造されたと考えられています。

埋葬施設は南側に開口した両袖式の横穴式石室。ただ羨道は崩れて、入口は塞がっています。石室の上にある木が成長し、その重みにより崩れたのかもしれません。

ちなみに玄室側の天井石が失われているため、上から玄室内を見ることができます。もともと玄室には石棺が置かれていましたが、過去に破壊されてその破片が残っているとのこと。

羨道には、追葬されたと思われる、凝灰岩製の刳抜式家形石棺が残されていました。古墳時代後期の石棺は「刳抜式」と「組合式」の2種類に大別されます。確かなことは分かりませんが、刳抜式は身分の高い人物に用いられる傾向にあるようです。

一般的に玄室に埋葬される人物のほうが、追葬される人物より身分が高いと考えられます。そう考えると、玄室にも刳抜式の石棺が用いられていたのかもしれません。纏向古墳群周辺に残る石棺は、組合式が多いとのこと。弁天社古墳は刳抜式が用いられていることから、被葬者は周辺でも特に身分の高い人物だったのかもしれません。
ちなみに石室のどの部分だったのか忘れてしまったのですが、石材に人工的に彫られた長方形の溝が彫られています。

以前、これとそっくりな彫り方をした溝を大阪府堺市にある「牛石古墳」で見たことがありました。牛石古墳の石材は、天井石の一部とのことですが、弁天社古墳の場合はどのような用途で使用されていたのでしょうか。

そんな訳で、神社の境内で謎の石室の中に入ったり覗いたりしているのも不審者感が満載なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県桜井市にある「弁天社古墳」を紹介しました。石室はほぼ姿をとどめていないものの、纏向古墳群一帯で石棺が残るという貴重な古墳でした。意外と石室の中に入られるのも、ポイントが高いかもしれません。神社と一体化した石室に入りたいという人にはおススメの古墳といえるでしょう。
そんな訳で、弁天者古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、神社と一体化した石棺が残る古墳を紹介します。
弁天社古墳詳細
古墳名 | 弁天社古墳 |
別名 | なし |
住所 | 奈良県桜井市茅原560 |
墳形 | 不明 |
全長 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 古墳時代後期 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(両袖式) |
石室全長 | 不明 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 不明 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
弁天社古墳
弁天社古墳は封土が既に失われ、現在は玄室が露出している。発掘調査が行われていないため詳細なことは不明だが、石室は南側に羨道をもつ両袖式の横穴式石室である。現室内には既に破壊された石棺の破片があり、羨道部には立派な家形石棺が安置されている。石棺は凝灰岩を刳り抜いて造られたもので、裏側には盗掘の際の穴があけられている。この古墳は、古墳時代後期の古墳が多い三輪山麓でも石棺の残る珍しい例の一つである。
奈良県教育委員会