はい、今回は大阪府八尾市にある「愛宕塚古墳(あたごづかこふん)」を紹介します。八尾市には高安千塚古墳を初め、数百基もの古墳が存在。これらの大半は山腹に造られ、小型の円墳により構成されています。
一方の愛宕塚古墳は、山裾近くに築造された巨大石室を持つ、単独墳として知られています。石室は10mを超え、その規模は大阪府下でも最大級とのこと。そんな大阪府下最大級の石室を持つ古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。ということで、今回は、大阪府八尾市にある「愛宕塚古墳」へ行ってきました。
愛宕塚古墳とは
愛宕塚古墳のある、大阪府八尾市に来ています。今回は、八尾市最大の前方後円墳として知られる「心合寺山古墳(しおんじやまこふん)」を中心に周辺の古墳を回ることに。

愛宕塚古墳の周辺には、「楽音寺・大竹古墳群」と「高安千塚古墳群」という2つの古墳群が存在します。楽音寺・大竹古墳群は、心合寺山古墳を中心とした古墳時代中頃に築造されたもの。一方の高安千塚古墳群は、古墳時代後期に築造されています。

愛宕塚古墳は古墳時代後期に築造されており、時期・距離的には高安千塚古墳群に近い古墳です。ただ、愛宕塚古墳を高安千塚古墳群に属するかについては、資料により異なるようです。
そんなわけで、心合寺山古墳で自転車をレンタルして愛宕塚古墳へ向かいます。わりと坂道が多いため、電動機付の自転車であることはいうまでもありません。
心合寺山古墳から東へ行くと、急に坂道がキツくなります。電動機付き自転車でもギリギリな感じの坂を必死で漕ぎながら、神立共同墓地に到着。愛宕塚古墳は、この共同墓地の隣に存在します。墓地へ続く細い道を進むと、脇道があり「史跡の道」と彫られた石碑が建てられていました。

この細い脇道を進み、「愛宕塚古墳」の石碑のある場所を奥に行くと、巨大な横穴式石室が見えてきます。


愛宕塚古墳は、直径25m、高さ6.5mの円墳。住宅地の近い場所に存在しますが、比較的封土も良好な状態でたもたれています。埋葬施設は、全長16.8m、高さ4.1mの横穴式石室。良好に残る大阪府下最大級の古墳ということで、1992年に大阪府の史跡に指定されています。石室は、7世紀初頭に築造された特徴を持つとのことですが、内部から6世紀後半の須恵器が見つかっています。そのため、築造時期についてはハッキリしていません。
というわけで、大阪府下最大級という愛宕塚古墳の石室に入ってみることに。ちなみに入口には柵が設けられていますが、普通に開けて入ることができます。ただし、出るときはキチンと閉めて帰って下さいとのこと。


横穴式石室は、棺が納められている「玄室」とそれに続く通路である「羨道」に分かれています。入口に見えているのは羨道部分。羨道にも巨石が用いられており、石室の巨大さを感じさせます。

こちらが羨道の内部。天井部も巨石ですが、側壁も大きめの石を用いて二段積みに構築しています。

こちらが玄室からみた羨道。両袖式の横穴式石室ということで、玄室に対して中央に羨道が伸びているのが分かります。

玄室の高さは約4mと、羨道の倍の高さ。しかし側壁と奥壁は羨道と同じく二段積みであり、設計へのこだわりを感じます。天井石にも巨石を用いており、築造にはかなりの労力を必要としたのではないでしょうか。ちなみに外の光が入らないので、ライトが無いと石室内は真っ暗です。


石室は古くから開口していたようで、すでに棺は失われています。遺物から凝灰岩と竜山石製の2種類の石片が見つかっており、2基の組合式の家形石棺が納められていたと考えられています。盗掘されていたにもかかわらず、意外と多くの遺物が残されており、須恵器、馬具、帯金具、飾金具類、武器類、玉類などが見つかっています。
特に「龍文銀象嵌鞘金具付捩じり環頭大刀の鞘の金具」は、羽曳野市の峯ヶ塚古墳、斑鳩町の藤ノ木古墳など、畿内周辺で出土しているとのこと。どちらも大和王権とつながりの深い古墳であることから、愛宕塚古墳の被葬者も、大和王権とつながりの深い人物だったと考えられます。遺物は大阪府の有形文化財に指定され、現在「八尾市立歴史民俗資料館」に保存されています。
被葬者については、立地、規模、時期から物部守屋ではないかとの説があります。物部氏は、現在の東大阪から八尾市にかけてを本拠地とした古代の大豪族として知られています。

物部守屋は、大和王権において大王に次ぐ「大連(おおむらじ)」の地位にありました。物部守屋が亡くなったのは、587年と、愛宕塚古墳の築造時期の6世紀後半にあたります。ただ、物部守屋は丁未の乱にて蘇我馬子に破れ戦死。この戦いにて物部氏宗家は滅び、物部守屋が愛宕塚古墳の被葬者であるかについては疑問も残ります。
今のところ、被葬者についての決定的な証拠はないため、誰の墓なのかは不明です。ただ、規模や遺物などから考えて、大和王権とつながりのある、かなりの有力者が葬られていたのではないでしょうか。
そんなわけで、ライトがあるとはいえ暗い石室に一人でいるのが不安になってきたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府八尾市にある「愛宕塚古墳」を紹介しました。大阪府では数少ない横穴式石室に入られるという古墳です。入られるというだけでなく、その規模も圧巻で大変見ごたえのある古墳ではないでしょうか。ただ、石室に入る場合は、わりと強力なライトがないと寂しくなるので注意が必要です。
そんなわけで、愛宕塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、地域最大級の古墳を紹介します。
愛宕塚古墳詳細
古墳名 | 愛宕塚古墳 |
住所 | 大阪府八尾市神立4丁目 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 25m |
高さ | 6.5m |
築造時期 | 6世紀代 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(両袖式) |
指定文化財 | 大阪府の史跡:1992年3月31日 |
出土物 | 須恵器、馬具・帯金具・飾金具類、武器類、玉類 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
愛宕塚古墳
古墳時代後期の横穴式石室である。封土は墳頂部を除いてよく保たれており墳丘は径25メートル、高さ6.5メートルで、円墳の形状をよくとどめている。
巨石を積み上げた横穴式石室は奥行16.76メートル、玄室の高さ4.1メートルを測り、高安古墳群中最大規模の後期古墳である。
石室は古くから開口していたが、昭和42年学術調査が行われた。遺物では凝灰岩製の家型石棺片、鉄製利器、金張鉄製品、土器のほか玉類、鉄地金銅張馬具など優れた副葬品が多量に残存して、被葬者の地位、性格を物語っている。
八尾市教育委員会