はい、今回は兵庫県芦屋市にある「芦屋神社境内古墳(あしやじんじゃけいだいこふん)」を紹介します。芦屋神社境内古墳は、文字通り、芦屋神社の境内にある古墳です。
芦屋神社境内古墳は、境内にあるだけでなく古墳自体が神社にもなっている「神社大融合古墳」でもあります。古墳と神社が大融合していると聞いたからには見に行かずにはいられません。そんな訳で、大融合した古墳を確かめるべく、兵庫県芦屋市にある「芦屋神社境内古墳」へ行ってきました。
芦屋神社境内古墳とは
芦屋神社境内古墳のある、兵庫県芦屋市に来ています。駅から徒歩で向かおうと思ったのですが、バスが近くまで走っているので利用することに。Googleマップで見ると近いように見えるのですが、キツい坂道を上る必要があり、バスで正解でした。
バス停を降り古墳のある芦屋神社に向かいますが、なかなか急な階段を上っていく必要があります。周囲は閑静な住宅地ですが、元々はかなりの山の中だったのではないでしょうか。

息を切らせながら5分ほど歩き、芦屋神社に到着。芦屋神社は広い敷地を有する神社ですが、創建については分かっていません。芦屋神社は、927年に編纂された「延喜式神名帳」に記載されていないため、創建は927年以降の創建と思われます。

芦屋神社の由緒によると、下記のように記されています。
天穂日命が高天原より降臨された磐座が六甲山頂に現存することや、境内に横穴式石室古墳があることなどから推察して、約千四百年前にはすでに六甲山を聖地として崇める豪族が芦屋の地にあり、山の神を遥拝する施設としてこの里宮を建立したのではないかと考えられます。
芦屋神社由緒より
神社としての様式が整ったのは奈良時代以降かもしれませんが、自然崇拝の場として古くから存在したのかもしれません。芦屋神社では「天穂日命」を主祭神としていますが、明治時代の神社合祀政策により、近隣の神社を芦屋神社に合祀。そのため芦屋神社には15柱もの神様が祀られています。
そんな多くの神様を祀る芦屋神社ですが、百人一首で有名な「猿丸大夫」の墓もあります。下記の歌などは、覚えている人も多いのではないでしょうか。
おくやまに もみぢふみわけ なくしかの
百人一首
こゑきくときぞ あきはかなしき
社伝によるとこの歌は、芦屋の山にあったとされる猿丸太夫の庵で、秋の情景を詠んだ歌ではないかと伝わっているそうです。ただ、実際に芦屋に猿丸大夫の庵があったのかは不明。猿丸太夫は、本名ではないと考えられており、実際に誰なのかは分かっていません。

現在、猿丸大夫の子孫を称する一族では、猿丸大夫を聖徳太子の孫である「弓削王」としているようです。ちなみに「猿」を「去る」、「丸」を「ガン」と読み替え、「ガンが去る」から病気平癒の神としても崇められているとのこと。もう神様扱いなんですね・・・
2013年に行われた京都橘大学の調査によると、墓の宝塔は鎌倉時代後期のものであることが分かっています。ただ発掘調査報告書には、これを理由に猿丸大夫の墓ではないと断言していないところが、大人の配慮なのでしょうか。
ということで、本命の芦屋神社境内古墳へ。古墳が神社にあるケースはよくあり、「〇〇神社古墳」と名付けられるケースがよく見られます。しかし「〇〇神社境内古墳」とワザワザ境内を名前にねじ込んだ古墳は聞いたことがありません。
芦屋神社境内古墳は、神社の西端に存在しました。

何か崇められてますね
芦屋神社境内古墳は別名「水神社」といい「菊理比売命(くくりひめのみこと)」を祭っています。菊理比売命は、黄泉の国でイザナミとイザナギがもめていたところを仲裁した神様ということで、縁結びの神様として知られています。

そんな神社に仕上がった芦屋神社境内古墳ですが、6世紀末に築造された円墳と考えられています。墳丘の規模は、直径19m、高さ3.5m。埋葬施設として、南側に開口した全長10.4mの右片袖式の横穴式石室を有しています。芦屋市で完全な姿で残る唯一の古墳ということで、平成28年2月19日に、芦屋市の指定文化財に登録されています。

玄室に続く羨道は6.2mとのことで、側石の一部が残されています。地面には石畳が敷かれる魔改造が施されており、石室はやや改変されています。内部の遺物についての情報は不明。

石室の手前には扉がつけられており、中に入ることも見ることもできません。なお、石室内には、芦屋川上流で祀られていた水神の祠が祀られているとのこと。菊理比売命が水神なのか、菊理比売命と水神を祭っているのかは謎。
古墳の北側に回ると、西側は住宅により一部削平されていますが、全体的に良好な状態で墳丘が残されています。北から北東側に古墳に沿うように幅約2mの半円形の参道が通っており、古墳に伴う周溝であった可能性が指摘されています。

芦屋神社境内古墳周辺は、笠ヶ塚群集墳と呼ばれる複数の古墳が存在しました。現在は開発により全て失われたため、現存するのは芦屋神社境内古墳のみとはります。芦屋神社境内古墳の北東には「八十塚古墳群」、西には「城山古墳群」と「三条古墳群」など山麓部に古墳時代後半の群集墳が存在しています。
芦屋市の芦屋川から神戸市東灘区の住吉川一帯には、多くの渡来人が住んでいたと考えられています。芦屋神社境内古墳の被葬者は不明ですが、立地や時代背景から、渡来人の有力者の墓だった可能性もありそうです。
芦屋神社境内古墳は、神社でもあるということで、チラホラと参拝者が訪れていました。あまり古墳を激写していたら不信心者として怪しまれそうなので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、兵庫県芦屋市にある「芦屋神社境内古墳」を紹介しました。石室自体が神社と化した大融合古墳でした。石室内は見ることができませんが、石室と封土は良好な状態で保存されており、一見の価値があります。猿丸太夫の墓と合わせてオススメできる古墳です。
という訳で、芦屋神社境内古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、神社と大融合した古墳を紹介します。
芦屋神社境内古墳詳細
古墳名 | 芦屋神社境内古墳 |
住所 | 兵庫県芦屋市東芦屋町20−25 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 19m |
高さ | 3.5m |
築造時期 | 6世紀末 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(右片袖式) |
出土物 | 無し |
指定文化財 | 平成28年2月19日 |
参考資料 | ・案内板 ・京都橘大学歴史遺産調査報告2013 ・京都橘大学歴史遺産調査報告2014 |
案内板
芦屋市指定文化財 芦屋神社境内古墳
■時代:古墳時代後期(6世紀末〜7世紀初頭)
■形状・構造:円墳・横穴式石室
■規模:墳丘 直径19.0m・高さ3.5m
石室 全長10.4m・玄室幅1.7m・玄室高2.1m・羨道長6.2m
■指定文化財:平成28年2月19日
芦屋市内において唯一、横穴式石室が完存する古墳。本来、この辺りは笠ヶ塚群集墳として多くの古墳があったが、今はこの古墳しか残っていない。現在は、弁天岩(芦屋川上流)で祀られていた水神の社となっており、玄室には、後世の石祠が置かれている。
(平成29年3月 芦屋市教育委員会)