はい、今回は大阪府堺市にある「二本木山古墳(にほんぎやまこふん)」を紹介します。二本木山古墳は、1基の石棺から男女2体の被葬者が見つかったという珍しい古墳で知られています。
石棺に2体の被葬者が葬られていた古墳と聞いたからには、見に行かざるを得ません。そんな訳で、大阪府堺市にある「二本木山古墳」へ行ってきました。
二本木山古墳とは
二本木山古墳のある、大阪府堺市南区に来ています。堺市南区は、大阪府が開発した泉北ニュータウンが知られています。泉北ニュータウンは泉北丘陵を切り開いた新興住宅地ですが、かつて泉北丘陵には数多くの古墳が存在していました。二本木山古墳の近くにも「檜尾塚原古墳群」や「牛石古墳群」などが存在します。
そんな訳で、最寄り駅の泉北高速鉄道「光明池駅」から二本木山古墳に向かいます。二本木山古墳の途中には、移設された「檜尾塚原古墳群8号墳」などがあり、寄り道しながら先に進みます。
緑豊かな新檜尾公園の遊歩道を歩きながら、二本木山古墳のある赤坂公園へ。
平和そうな道ですが、道の脇には物騒な看板がいくつか立てられており油断できません。古墳激写オジサンも十分不審者なんで、通報されないように気をつけようと思います。
遊歩道をしばらく歩くと、左側斜面に階段が現れます。事前情報によると、この階段を登った先にある赤坂公園に二本木山古墳が存在します。
長い階段を上り踊場に到着。この場所には二本木山古墳の案内板が設置されていました。
案内板はありましたが、古墳がどこなのかよく分かりません。周辺をウロウロとしていると、それらしき盛り土を発見。
完全にただの盛り土でした
それらしき案内もないので分かりませんが、この盛り土が二本木山古墳と思われます。もしかしたらただの盛り土で、本物は違う場所なのかもしれませんが、他にそれらしいものはありませんでした。
二本木山古墳は、1958年に果樹園開墾中に偶然発見。5世紀初めに築造された古墳で、規模は直径12m、高さ2mの円墳。古墳の北側に幅4m、深さ約1mの濠が確認されています。
この時期の古墳は、一般的に墳丘に葺石が敷かれ、埴輪が並べられていました。しかし二本木山古墳からは、葺石も埴輪も見つかっていません。
埋葬施設は、砂岩製の割竹形石棺を直送したもの。石棺の特徴として、蓋の前後と身の前後左右に縄掛突起と呼ばれる突起が確認されています。割竹形石棺は、関西において出土例が多くありません。類似した石棺として、大阪府柏原市にある玉手山3号墳から出土したと考えられている石棺蓋が存在します。
さらに珍しい点として、1基の石棺内から2体の被葬者が葬られていることが挙げられます。石室に複数人が埋葬されることはよくありますが、石棺に複数人埋葬される例は多くありません。
古墳時代前期の古墳は竪穴式が多く、追葬を想定していません。この時代において、1基の石棺に複数人が埋葬されるのは珍しいのではないでしょうか。ただ同時に2体埋葬されたのか、後から追葬されたのかは分かっていません。
埋葬されていたのは熟年期の男女。ミトコンドリアDNA分析によれば、夫婦ではなく兄弟である可能性があるそうです。また石棺内には、砂岩製の石枕も確認されていました。石枕のある石棺は珍しく、全国でも200例ほどしか見つかっていません。石棺内に副葬品は見つかっていませんが、棺外より、1口の鉄剣が見つかっています。
被葬者は不明ですが、小型の古墳であることから、地元の豪族だと考えられています。二本木山古墳は、石棺だけでなく被葬者まで残る珍しい古墳といえるでしょう。
そんな訳で、二本木山古墳がいかに珍しい古墳かをズラズラと書きましたが…
石棺はみれません
現在石棺は埋め戻されているのか、他の場所に保存されているのかは不明。せっかくの珍しい古墳ですが、ここに来ても盛り土しかありません。そんな訳で、公園内でオッサンが謎の盛り土を必死に激写していると怪しさ抜群なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は大阪府堺市にある「二本木山古墳」を紹介しました。石枕付きの割竹形石棺に二体の被葬者が埋葬されている珍しい古墳ですが、行ってみるともれなく謎の盛り土が堪能できる素敵な古墳です。
古墳としてはエッジの効いているので、もう少し情報を充実してPRできる余地はあるのではないでしょうか。堺市は百舌鳥古墳群のアピールに力を入れているので、なかなかここまで手は回らないかもしれませんが・・・
そんな訳で、二本木山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、石棺に二体の被葬者が埋葬されている珍しい古墳を紹介します。
二本木山古墳詳細
古墳名 | 二本木山古墳 |
住所 | 大阪府堺市南区赤坂台1丁44−1 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 12m |
高さ | 2m |
築造時期 | 5世紀初め |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 石棺直送 |
出土物 | 鉄剣 |
参考資料 | ・案内板 ・大阪府の文化財 ・大阪府堺市野々井二本木山古墳出土人骨のミトコンドリアDNA分析 |
案内板
この古墳は丘陵先端の自然地形をうまく利用して作られた径12m高さ2mをはかる円墳である。北側には幅4m、深さ約1mの濠を伴っている。葺石、埴輪などの外部施設はみられない。昭和33年(1958)果樹園開墾中偶然に発見され発掘調査が行われたものである。その結果、中心部には封土に割竹型が直送されており、その中に砂岩製石枕に沈した、二体の人骨が完全な状態で発見された。なおその人骨は、成人男女各一体と推定されている。遺物は、棺内から何ら検出されず、わずかに棺の合わせ目にみられた粘土中から鉄剣一口がみられたのみであった。この古墳は、石棺の形から5世紀はじめ頃、この辺りに住んでいた豪族の墓と考えられている。
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