はい、今回は奈良県広陵町にある「京戸古墳」を紹介します。以前、古墳と思い撮影したのですが、何の情報もなくただの丘だと思っていました。
後日改めて調べてみると、実は古墳であることが判明。奈良で怪しい丘はすべて古墳かもしれないので油断できません。そんな訳で、丘と思わせて古墳だった京戸古墳を確かめるべく、奈良県広陵町へ向かいました。
ただの丘が見えました
京戸古墳のある奈良県広陵町にきております。広陵町は奈良県でも古墳の多い地域として知られており、特に奈良の三大古墳群の一つ「馬見古墳群」が存在することでも知られています。
京戸古墳は、馬見古墳群「中央群」の西部に存在。京戸古墳の周辺には30面もの銅鏡が出土した「佐味田宝塚古墳」や押坂彦人大兄皇子の墓と考えられている「牧野古墳」などの有名な古墳も存在します。
という訳で、今回は牧野古墳の石室が一般公開されるついでに寄ることにしました。
京戸古墳については、情報がほとんどありません。読み方も分からず「きょうと」なのか「きょうど」なのかも不明。もしかしたらまったく違う読み方なのかもしれません。ちなみに名前の由来も全く不明。
京戸古墳は、馬見丘陵西側の低い丘陵上に築造された古墳。現在は「ねずみさん公園」という古墳の気配を全く感じさせない公園に存在します。京戸古墳は案内板の右側にある、ただの茂みエリアに存在。
公園内を歩いていても、人っ子一人いません。これは古墳激写のチャンス。
そんな訳で、案内板の茂み辺りにある京戸古墳にいってみると・・・
全力で丘と茂みですね!
京戸古墳は、柵に囲まれており中に入ることができません。以前訪問したときも、ただの丘に柵があるのは不自然だなと思いましたが、どうやらこれが古墳のようです。
京戸古墳の規模は、推定で直径約15mの円墳。埴輪や葺石は、見つかっていません。築造時期は不明ですが、出土した須恵器片から古墳時代後期と考えられています。
ちなみに封土がかなり流出しているらしく、古墳の痕跡しかありません。つまり丘の上に古墳が存在したけれども、ほとんど失われて、古墳に見える丘はただの丘とのこと。
埋葬施設は「木棺直葬」だったと考えられています。ただ封土が大きく流出していたため、土壙の基底部が残るのみ。土壙の長さは3.1m、幅1.3mの規模で、壙から西南の墳丘裾まで素掘りの排水溝が見つかっています。
排水溝跡は西南にあり見えませんが、見に行けたとしても、恐らく茂みしか見えないでしょう。基本的に情報が少なく、まとめると、多分円墳で、多分木棺直葬で、多分古墳時代後期に造られたのだろうということ。
見た感じは墳丘が残ってそうな雰囲気ですが、削平されて痕跡が少ないというのが意外でした。それにも関わらず柵で囲い立入禁止にまでしているということは、いつか発掘調査を行う予定があるのかもしれません。
墳丘がほとんど失われているということで、土の盛り上がりはただの丘のようです。もう古墳なのか丘なのか分からなくなったので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は奈良県広陵町にある「京戸古墳」を紹介しました。丘と見せかけて古墳だったけれども、見えているのはただの丘だったという難解な古墳でした。丘なのか古墳なのか分からない古墳を見たい人には、オススメの古墳ではないでしょうか。
という訳で京戸古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、丘と見せかけて古墳だけども、見えているのは丘な古墳を紹介します。
京戸古墳詳細
古墳名 | 京戸古墳 |
住所 | 奈良県北葛城郡広陵町馬見北4丁目19 |
墳形 | 推定:円墳 |
一辺 | 推定:約15m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 古墳時代後期 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 木棺直葬 |
出土物 | 須恵器片、埴輪片 |
参考資料 | ・広陵町史 ・馬見古墳群の基礎資料 |