はい、今回は大阪府堺市にある「源右衛門山古墳(げんえもんやまこふん)」を紹介します。源右衛門山古墳は百舌鳥古墳群の一つで、世界文化遺産に登録された古墳として知られています。
一般的に古墳名は、形、地名、伝説などが由来しますが、源右衛門山古墳は人の名前が古墳名になっています。一体、源右衛門とは誰なのか?そんな訳で源右衛門が何者かを探るべく、大阪府堺市に行ってきました。
源右衛門山古墳とは
源右衛門山古墳のある大阪府堺市に来ています。百舌鳥古墳群は、44基のうち23基が世界文化遺産に登録され、源右衛門山古墳もその23基に含まれています。
そんな世界文化遺産の源右衛門山古墳ですが、人名を由来に持つ古墳名となっています。源右衛門は何者かという話ですが、調べてみると江戸時代に古墳を所有していた人の名前とのこと。ただ源右衛門に関する情報が無く、話が全く膨らみません。
あまり人名が由来の古墳は見かけませんが、大阪府太子町には、松井さんの庭から古墳がでたことから「松井塚古墳」という人名が由来の古墳が存在します。
という訳で、源右衛門山古墳の最寄り駅の「三国ヶ丘駅」にやってきました。事前情報によると、駅の屋上にある「みくにん広場」が源右衛門山古墳の激写スポットらしいので行ってみることに。
屋上が広場になっており、チビッコやカップルたちが楽しく過ごしています。その中で一人謎の茂みを激写していましたが、明らかに一人だけ浮いていました。確かにこの場所はよく見えるのですが、逆光とガラスの反射で黒っぽい茂みにしか見えません。どうやら午前中に来るべきでした。仕方がないので、古墳に近づいて激写を試みます。
源右衛門山古墳の東は駐車場、南は住宅に接しています。北と西から撮影することができますが、道幅が狭くなかなか全体を激写できる場所がありません。ちなみにこちらは東側の駐車場側から撮りましたが、鬼逆光で茂みかどうかも分かりません。
そんな逆光がまぶしい源右衛門山古墳は、宮内庁により「仁徳天皇陵陪塚ち号」として管理されています。そのため周囲はフェンスに囲われており、中に入ることはできません。
一般的に宮内庁管理の古墳は、立入禁止やゴミをすてるな等の注意板が設置されているのですが、源右衛門山古墳にはありません。また飛び地を示す石柱も見える角度になく、宮内庁管理感をあまり感じません。だから何だといわれても困りますが。
上から見ると、源右衛門山古墳の西には、住宅を挟んで仁徳天皇陵が存在します。築造時期も近いことから、源右衛門山古墳は仁徳天皇陵の陪塚と考えられています。
源右衛門山古墳は、5世紀前半に築造された直径34m、高さ5.4mの円墳。現在は埋没していますが、周囲には濠が巡らされていたとのこと。
かつては墳丘に葺石が敷かれ、円筒埴輪が並べられていたことが分かっています。ただ詳しい調査が行われておらず、埋葬施設は分かっていません。被葬者は不明ですが、仁徳天皇陵の被葬者と関係が深い人物の墓と考えられます。
とりあえず道沿いにグルッと回ってみましたが、盛土と茂みとフェンスしか視界に入ってきません。
見所は特になく、5分もあれば見終わってしまいました。とりあえず私も今のうちに古墳を所有して、自分の名前を古墳名にしたいと思います。
まとめ
今回は、大阪府堺市にある「源右衛門山古墳」を紹介しました。結局、源右衛門が何者なのかはサッパリわかりませんでしたが、行ったところで分かるはずもないので仕方ありません。
とりあえず源右衛門山古墳を見に行くなら、午前中に行った方が古墳映えするということが分かりました。ただ映えるといっても、盛土と茂みとフェンスしか写りませんが。
そんな訳で源右衛門山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、江戸時代に古墳を持ってたら名前が古墳名にされた古墳を紹介します。
源右衛門山古墳詳細
古墳名 | 源右衛門山古墳 |
宮内庁名 | 仁徳天皇陵陪塚ち号 |
住所 | 大阪府堺市堺区向陵西町4丁11−20 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 34m |
高さ | 5.4m |
築造時期 | 5世紀前半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
世界文化遺産 | 2019年7月6日 |
出土物 | 円筒埴輪 |
参考資料 | ・百舌鳥古墳群をあるく ・案内板 |
案内板
源右衛門山古墳は、仁徳天皇陵古墳の北側に築かれた円墳です。墳丘は2段に築かれ、周囲には幅5m、深さ1.8mの濠が巡っていましたが、現在は埋没しています。濠の位置は道路の舗装の色を変えて示しています。
濠から見つかった埴輪の特徴から、仁徳天皇陵古墳とほぼ同時期に完成したと考えられます。仁徳天皇陵に接近し、築造時期も近いことから、仁徳天皇陵古墳と関わりのある古墳(陪塚)と考えられます。