はい今回は、奈良県高取町にある「寺崎白壁塚古墳(てらさきしらかべづかこふん)」を紹介します。寺崎白壁塚古墳は、山中にある古墳ですが、近年整備が進められておりイージー古墳に近づいています。
そんな野生の古墳からイージー古墳へ生まれ変わると聞いたからには、見に行くしかありません。いや整備されてから行けばいいんですが、とりあえず行きたかったので行ってみました。
コツコツと整備している感がある
寺崎白壁塚古墳のある奈良県高取町にきています。寺崎白壁古墳は、高取町、橿原市、明日香村にまたがる貝吹山の南側中腹に築かれた古墳。
この一帯には寺崎白壁塚古墳の他に、与楽カンジョ古墳、与楽鑵子塚古墳が存在し、3基合わせて「与楽古墳群」とし、2013年3月27日に「国の史跡」に指定されています。
という訳で、与楽古墳群へやってきました。与楽古墳群は、北から南にかけて寺崎白壁古墳~与楽鑵子塚古墳~与楽カンジョ古墳の順に並んでいます。この3基の古墳は、国の史跡ということで、現在一般公開に向けて整備が進んでいます。この与楽古墳群で最初に目にするのが「与楽カンジョ古墳」。
こちらは墳丘が美しく整えられキレイに整備されています。一部未整備の部分もあるようですが、石室は開放され見ることが可能。
与楽カンジョ古墳からさらに北に歩いていくと、茂みが見えてきます。この茂みが「与楽鑵子(かんす)塚古墳」になります。こちらは一転、野性味あふれた古墳となっています。茂みに覆われすぎで、知らなければ古墳と気がつかないでしょう。
近くにいた地元の方に訪ねると、草刈りがされる時もあるが、石室は見られないようです。とりあえず茂み古墳に突撃するのは気合いとパワーがいるので、上るのは断念。地元の方の話によると、町もコツコツと整備を進めているそうですが、予算との兼ね合いもありなかなか進まないとのこと。整備が進めば、道の駅のようなものも建てられるそうです。
寺崎白壁塚古墳への道を教えてもらい、先に進みます。かつての寺崎白壁塚古墳は、たどり着くのが難しい古墳だったようですが、現在は竹林が切り開かれて、迷わずいくことが可能。
竹林を抜けると、開けた場所が現れました。どうやら発掘調査を行いながら整備を進めているようです。
ふと崖の方に目を向けると石室のような露出した石材を発見。あれは寺崎白壁塚古墳ではないので、新しく見つかった古墳かも?と思い、崖へダッシュ。
ちなみに家族も同行しており、崖にある謎の石材に突撃する父を見て呆然としていました。
こちらが謎の古墳。大きく崩れていますが古墳の石室で間違いないようです。与楽古墳群には3基の古墳以外にも200基ほどの小型の古墳があるようで、この古墳もその一つかもしれません。
謎の古墳を後に、さらに山の上を目指していきます。
階段を登り切った先に、寺崎白壁塚古墳の案内板を発見。少し古めの案内板ですが、比較的充実した古墳の概要が記載されています。
案内板からさらに進むと、ようやく寺崎白壁塚古墳が見えてきます。
寺崎白壁塚古墳は、7世紀前期~中頃に築造された一辺約35m、高さ約11mの方墳。石室は南側に開口しており、墳丘裾に幅6m、深さ2mのコ字型の掘割が巡らされていました。どうやらこのスタイルは、風水の思想を反映して築造されているとのこと。
石室手前には何故か金属製の階段が設置され、魔改造が施されています。階段が無くても簡単に石室には行くことができるので、この魔改造は謎。
せっかくなので、階段から石室に向かってみます。
寺崎白壁塚古墳の埋葬施設は、横口式石槨を有しています。横口式石槨は、横穴式石室と石棺が一体化したようなもので、木棺などが納められる仕様となっていました。現在は石槨の入口には柵がされているため、中にはいることはできません。
石槨には閃緑岩の切石を用いて構成されており、隙間には漆喰により埋められています。石と石の間にある白いものが漆喰でしょう。
内部は盗掘を受けており出土品はほとんど見つかっていませんが、ミニチュア窯の破片や土師器が見つかっています。また鉄釘が落ちていたことから、石槨には木棺が納められていたとのこと。寺崎白壁塚古墳の被葬者は不明ですが、この一帯を本拠地としていた「東漢氏(やまとのあやうじ)」の首長墓ではないかと考えられています。
東漢氏は、阿知使主を祖と称する渡来系の豪族。渡来系豪族は多くの技術者を束ねており、朝廷において重要な地位にありました。蘇我氏ともつながりが深く、蘇我馬子による崇峻天皇暗殺には、東漢駒が実行犯として選ばれています。東漢氏は蘇我氏滅亡後も、坂上氏などを輩出し、以後も貴族として存続しています。
とりあえずここまでやってきたので、墳丘の上まで登ってみます。築造時はもっと木々もなく、壮観な古墳群がみれたのかもしれません。
なかなか見応えのある古墳でしたが、古墳の上なで悦に入ったオッサンに呆れたのか家族が帰り始めたので、私も帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県高取町にある「寺崎白壁塚古墳」を紹介しました。ちょっとした探索気分も味わえ、精巧な横口式石槨をみることができる、見応えのある古墳ではないでしょうか。
B級古墳好きにはツッコミどころが少なく少し寂しいですが、与楽カンジョ古墳と合わせて見ておいても損はないと思います。得するのかといわれたらよくわかりませんが。
そんな訳で、寺崎白壁塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別のイージーと野生の間の古墳を紹介します。
寺崎白壁塚古墳詳細
古墳名 | 寺崎白壁古墳 |
住所 | 奈良県高市郡高取町与楽寺崎 |
墳形 | 方墳 |
一辺 | 約35m |
高さ | 約11m |
築造時期 | 7世紀前半~中頃 |
被葬者 | 推定:東漢氏 |
埋葬施設 | 横口式石槨 |
国の史跡 | 2013年3月27日 |
出土物 | ミニチュア炊飯具、鉄釘 |
参考資料 | 高取埋蔵文化財(埋文)散策マップ |
案内板
白壁塚古墳は一辺30mみかけの高さ9mの二段築成の方形墳と考えられています。墳丘裾には幅6m深さ2mのコ字型の掘割が巡ります。墳丘全面には長さ約30m幅9mの壇(テラス)がつき、墳丘背面の地形は風水思想を反映しています。埋葬施設は閃緑岩の切石を使用した横口式石槨で石槨部は長さ2.8m幅1.1m高さ0.9mを測り前面に長さ8.2m幅1.6~1.9mの前室と羨道がつきます。石材間には漆喰が充填されています。古墳の築造は出土遺物などから7世紀前半と考えられています。
高取町教育委員会