はい、今回は奈良県平群町にある「四ツ辻古墳(よつつじこふん)」を紹介します。山にある古墳は、見に行く人が少ないため道がないケースが多々あります。
しかし四ツ辻古墳は山の中にもかかわらず、比較的アクセス良好な古墳なんです。という訳で、山の中にあるのにアクセス良好な「四ツ辻古墳」を紹介します。
四ツ辻古墳とは
四ツ辻古墳のある奈良県平群町に来ています。この古墳は平群町西部の生駒山麓に築造されており、周辺には「剣上塚古墳」「ツボリ山古墳」「柿塚古墳」などが存在します。
四ツ辻古墳は、大阪市の玉造付近から生駒山を越え、奈良県斑鳩町に至る「十三街道」沿いの丘陵地に存在。十三街道は奈良時代に整備された街道で、かつて在原業平もこの街道を利用して、自宅の天理から八尾に住む女性に通ったともいわれています。
八尾側の十三街道沿いにも「心合寺山古墳」をはじめ複数の古墳が存在しており、古くから河内国と大和国を結ぶルートとして利用されていたのかもしれません。
四ツ辻古墳の周辺には20基ほどの古墳が存在しており「四ツ辻古墳群」と総称されています。そのうちアクセス良好な古墳は、四ツ辻1号墳と2号墳。という訳で、四ツ辻古墳近くまでやってきました。十三街道を歩いていますが、普通の国道となにも変わりません。かつては多くの人が行き交ったようですが、今のところ車が1台追い越していったぐらいの交通量。
古墳ファンの訪問記録によると、四ツ辻古墳は、国道沿いの僅かな茂みの切れ目に入るとすぐに見つかるとのこと。そんな訳で、道沿いを探索していると茂みの切れ目を発見。
突入してすぐ下が崖だったらどうしようかと思いましたが、なんとか大丈夫でした。Googleマップ的にもここで間違いないようです。
ちなみに平群町のホームページにも四ツ辻古墳が観光スポットとして紹介されています。「よ~し、今日は家族みんなで古墳を見に行くぞ!」とやって来たら、茂みに突入とか地獄ですね。幸い今日は一人で来ていたので、家庭崩壊を免れました。
茂みの奥は入口ほど茂っておらず見通しは悪くありません。ただ道はないので、山中を徘徊します。
入って少し南へ歩いていくとすぐに四ツ辻古墳を発見。探すのに手間取るかと思いましたが、あっさりと見つかりました。さすがアクセス良好な古墳。
こちらが四ツ辻1号墳で、直径14m、高さ3mの円墳。北側の裾が道路により削られています。埋葬施設は、開口部を南側に向けた横穴式石室で、6世紀後半頃に築造されたと考えられています。石室にはかなり土砂が流入し、開口部はかなり狭まめ。
普段はあまり石室に入らないのですが、何を思ったのか入ってみたくなりました。入口がかなり狭いので、匍匐前進で内部に入ります。アラフィフのおっさんが山中で匍匐前進しながら謎の穴に入っていく姿は、はたから見るとシュールかもしれません。
羨道(石室手前の通路)の長さ2.2m、石室の長さ3mと奥行きで5mほどあります。奥まで行くと戻れなくなるのが怖いので、ほどほどにしておきました。
内部は真っ暗かと思いましたが、天井石の隙間から光が差しておりやや視界があります。自然石を用いていますが、平らな石を丁寧に積み上げた構造。
墳頂に登ってみると天井石が剥き出しで、かなり封土が流出しているようです。
この近くには、2号墳もあるということで探してみました。1号墳から少し南西に歩いたところに巨大な土の盛り上がりを発見。おそらく2号墳と思われます。2号墳は直径9m、高さ2mの円墳。こちらも6世紀後半から末頃の築造と考えられています。
2号墳も石室の開口部があるはずですが、いくら探しても見つかりません。もしかしたら、ただの盛り土の周りをグルグル回っているだけという疑惑も浮上してきたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は奈良県平群町にある「四ツ辻古墳」を紹介しました。山の中にある古墳ながら、国道からすぐの場所にあるアクセス良好の古墳です。封土は失われていますが、石室は丁寧な作りで見応えがあるのではないでしょうか。道を歩いていると、おもむろに古墳に入りたい衝動に駆られたときには、おススメしたい古墳といえるでしょう。
という訳で、四ツ辻古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、山の中にあるアクセス良好な古墳を紹介します。
四つ辻古墳詳細
古墳名 | 四つ辻古墳 |
住所 | 奈良県生駒郡平群町四ツ辻字木の庄 |
墳形 | 1号墳:円墳 2号墳:円墳 |
直径 | 1号墳:14m 2号墳:3m |
高さ | 1号墳:9m 2号墳:2m |
築造時期 | 6世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
出土物 | 不明 |
参考資料 | 平群町ホームページ |