はい、今回は奈良県平群町にある「栗塚古墳(くりづかこふん)」を紹介します。一般的に古墳名は「見た目」「地名」「伝説」で名づけられますが、栗塚古墳も「栗」のような姿が由来と考えられます。
ありふれた形ということで、関西には「栗塚古墳」という名前の古墳が4基も存在しており、これはもう「栗塚四天王」と呼んでもいいかもしれません。同じ名前の4基ですが、それぞれ形も歴史も異なっています。そんな訳で、今回は栗塚四天王の一つである平群町の「栗塚古墳」を紹介します。
栗塚古墳は、茂み古墳
栗塚古墳のある奈良県平群町にきています。正直なところ、どの栗塚古墳も「茂み」か「盛り土」しかネタがありません。困ったのでとりあえず「四天王」ということにして比べてみることにしました。
平群町は西に生駒山脈、東に矢田丘陵に挟まれ、山地に囲まれています。古墳は山地に造られることが多く、平群町中部に位置する栗塚古墳も、生駒山地より西に延びる尾根の先端部分に築造されています。
平群町は聖徳太子が築いた「斑鳩宮」にも程近く、特に栗塚古墳のすぐ北にある西宮古墳は聖徳太子の息子である「山背大兄王(やましろのおおえのおう)」の墓ともいわれています。
という訳で、西宮古墳へ行ったついでに栗塚古墳にも寄ってみることに。西宮古墳から5分ほど歩き、住宅地を抜けた行き止まりに栗塚古墳が存在しました。
なかなかの茂みですね
この姿が「栗」なのかどうかはサッパリ分かりませんが、姿から名付けるとしたら「茂み塚古墳」になるでしょう。せっかく栗塚と名前がついているので、もう少し栗感が欲しいところ。
ちなみに大正14年の資料においては「西木塚」と記されていたようで、昔から栗塚古墳と呼ばれていた訳ではないようです。古墳の西側が住宅地、北側は崖となっています。そのため、古墳を確認できるのは、南と東側のみ。
栗塚古墳には、案内板が置かれており、古墳の概要を知ることができます。栗塚古墳は、6世紀頃に築造された直径22m、高さ4.5m以上の円墳。埴輪や葺石は最初からないことが分かっています。
埋葬施設は、開口部を南に向けた横穴式石室。現在、石室は埋まっていますが、一部石材が露出しているとのこと。ただし訪問時は、茂みで確認できず。
どの角度から見ても茂みしか見えず、激写ポイントがほとんどありません。謎の茂みを激写し続けていると、怪しさ爆発なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、奈良県平群町にある「栗塚古墳」を紹介しました。栗塚四天王の一角でしたが、見事に「茂み」しか確認することができませんでした。栗塚という名前のわりに栗っぽさが感じられませんでしたが、茂みを取り除いたら栗に見えるのかもしれません。
そんな訳で、栗塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、栗塚四天王を紹介します。
栗塚古墳詳細
古墳名 | 栗塚古墳 |
別名 | 西木塚 |
住所 | 奈良県平群町若井字字大門328番地 |
墳形 | 円墳 |
直径 | 22m |
高さ | 4.5m以上 |
築造時期 | 6世紀中頃(推定) |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
町の指定史跡 | 1988年6月15日 |
出土物 | 須恵器、土師器の破片 |
参考資料 | ・案内板 ・平群町ホームページ |
案内板
平群町指定文化財
栗塚古墳
昭和六三年六月一五日指定
所在地 平群町若井字大門三二八番地
所有者 平群町
生駒山脈より東に延びる尾根の先端部に築造された円墳。測量調査の結果、墳丘南側が削られているものの、直径ニニm、高さ四.五m以上の規模である
墳丘南斜面に石室が露出し、主体部は南に開口する横穴式石室であることがわかる。
埴輪列や葺石等の外部施設は見られない。
平群町教育委員会