はい、今回は大阪府岸和田市にある「衣ヶ谷古墳(ころもがたにこふん)」を紹介します。
衣ヶ谷古墳は2008年に道路工事の際に見つかった古墳で、現在は岸和田市の蜻蛉池公園内に移設保存されています。
公園に保存された古墳は、魔改造されていることが多いのですが、衣ヶ谷古墳もいい感じに魔改造されていました。そんな訳で、公園内に魔改造移設されたという衣ヶ谷古墳へ行ってきました。
衣ヶ谷古墳とは
衣ヶ谷古墳のある大阪府岸和田市に来ています。家族から大きい公園に行きたいというリクエストがあり、蜻蛉池公園へやってきました。
というのも、蜻蛉池公園に移設された古墳が存在するという情報を最近ゲットしたので、真の目的は古墳です。何も知らない家族は、再び見知らぬ古墳に拉致されるのでした。
蜻蛉池公園は60ヘクタールもの敷地を持つ、人気の公園として知られています。とりあえず遊歩道をブラブラ歩きながら、遊具の集まる場所へ到着。巨大遊具の上部には、邪教のシンボルみたいなモノが配置されていい感じです。
さらに奥へ行くと巨大な池があり、これが蜻蛉池かと思いきや大池という別の池。公園の管理事務所で水鳥のエサが買えるので、池の鳥たちと戯れることができます。池に近づくと、エサにありつけるとカモ軍団が大集結。
動物園以外でこんなにも大量のカモと触れ合えるのはここだけかもしれません。というか、カモ多過ぎです。
とりあえず家族サービスのミッションはクリアしたので、本命の古墳に向かいます。まあ、本命なのは私だけなんですが。
蜻蛉池公園は大きく4ブロックに分かれており、衣ヶ谷古墳は北東の大芝生エリアに存在します。
ちなみに公園の案内板には古墳の存在は記されていません。今まで蜻蛉池公園には何度も訪れていましたが、こんな端っこにあったら絶対寄らないでしょう。そんな普段なら行かないエリアに突然行くと父親が言い出したので、不審に思う家族。
という訳で、古墳のある芝生広場エリアにやってきました。ここにも遊具がありますが、巨大円墳のような丘に滑り台が設置されています。これは子供のテンション上がるやつ。
ここは不思議なエリアで、このような巨大な丘がいくつも置かれています。これが古墳ならどれだけテンションがあがったことか。
このエリアに着くや「ちょっと古墳を見てくる!」と家族には意味不明な言葉を伝えて、ダッシュで古墳のある奥へ向かいます。
そしてやってきました、衣ヶ谷古墳。石室だけが移設されているので、古墳感があまりありません。開口部付近をコンクリで固め、オシャレな感じに魔改造されています。
竹の柵で入口が閉じられており、知らない人が見たら不気味な牢屋に見えるかもしれません。
もともと衣ヶ谷古墳は、1.8kmほど離れた丘陵地に存在しました。2008年に行われた道路工事中に「重機で掘っていたら巨大な石が出てきた」という通報があり、古墳の存在に気が付いたとのこと。
衣ヶ谷古墳は、7世紀初頭に築造された一辺10mの方墳で、今のところ岸和田市において最後に築造された古墳です。そのような歴史的価値の高い古墳ということで、こちらに移設保存されています。
埋葬施設は、横穴式石室。天井石には、地元で産出された巨大な花崗岩を6枚用いています。ちなみにこの案内板に使われている石材は石室の天井石とも。いいのかそれは・・・
手前の部分が玄室に続く羨道(せんどう)になります。こちらは小型の古墳ということで、羨道もかなり狭かったようです。
石室は、全長約6m、床幅約1m、高さ約1.2mの自然石を組み合わせたもの。時期的には高松塚古墳と同じぐらいですが、それほど精巧に積み上げられた石室ではないようです。地方有力者の小型古墳なので、これが一般的なのかもしれません。
すでに盗掘を受けていましたが、副葬品として須恵器、土師器、鉄釘、金銅製耳飾りが出土。終末期古墳ということで、埴輪は出土せず、周濠も存在しなかったと考えられています。
こちらが、隣の丘から撮影した全景。四角い石のベンチみたいなものが写っていますが、あれも天井石を使ったものらしいです。いいのかそれは・・・
ちなみに古墳近くでバトミントンをしていたカップルがいましたが、突然やってきたオジサンが謎の古墳を激写し出したので、「風が出てきたから違う場所に行こうか」というセリフを発して去っていきました。謎の古墳オジサンに負けるとは、君たちの愛はそんなものか。
まとめ
今回は大阪府岸和田市にある「衣ヶ谷古墳」を紹介しました。公園に移設された魔改造古墳ということでしたが、丁寧に保存されて見ごたえがある古墳でした。
できればもう少しアピールしてもいいのではないかと思いましたが、わざわざこれを見に来る一般人はほとんどいないと思うのでこれでいいのかもしれません。
という訳で、衣ヶ谷古墳の紹介はこの辺で。次回は、また別の公園に移設された魔改造古墳を紹介します。
衣ヶ谷古墳詳細
古墳名 | 衣ヶ谷古墳 |
住所 | 大阪府岸和田市三ヶ山町大池尻 701(蜻蛉池公園内) |
墳形 | 方墳 |
一辺 | 10m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 7世紀初頭 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
石室規模 | 全長:約6m 床幅:約1m 高さ:約1.2m |
出土物 | 須恵器、土師器、鉄釘、金銅製耳飾り |
参考資料 | ・大阪府埋蔵文化財調査報告2009-9:衣ヶ谷古墳 ・大阪府ホームページ |
案内板
平成20年5月、岸和田市三ヶ山町の道路工事現場から「山を重機で削っていたら、大きな石が出てきた。」と大阪府教育委員会に通報がありました。急いで現地を確認したところ、まさしく古墳の横穴式石室の天井石が露出していて、急遽、発掘調査を実施しました。
調査の結果、横穴式石室(全長約6m、奥壁近くの床幅1.1m、高さ1.2m)を有する7世紀初頭に造られた一辺約10mの方墳であることがわかりました。
石室の天井石は6枚で、石材は大半が地元で産出する花崗岩を用い、一部は砂岩(川原石)を積んでいます。石室内からは副葬品として須恵器(杯身、杯蓋、高杯、壷)、土師器(杯身、杯蓋)、木棺に使われた釘、耳飾(金環)が出土しました。衣ヶ谷古墳は典型的な7世紀の古墳ですが、この時期の古墳が少ない泉州地域では大変貴重な資料であることから、石室の一部(玄室)を移築、復元しました。