はい、今回は大阪府堺市にある「かぶと塚古墳」を紹介します。かぶと塚古墳は、44基の古墳で構成される百舌鳥古墳群の一つですが、世界文化遺産に登録されている23基には含まれていません。
ところで、古墳の興奮ポイントといえば「茂み」「盛り土」なんですが、この「かぶと塚古墳」は非常に盛り土パワーが高い古墳なんです。そもそも盛り土パワーってよく分からないんですが、もうそれしか見どころがないので、とりあえずかぶと塚古墳へ行ってみました。
かぶと塚古墳と百舌鳥大塚古墳
かぶと塚古墳のある、堺市西区に来ています。もちろん、かぶと塚古墳だけを見に来たわけではなく、百舌鳥古墳群巡りの一つで立ち寄りました。
履中天皇陵の南西部400mほどの場所に位置しますが、履中天皇との関係は不明。また、かぶと塚古墳から200mほど離れた場所には「経堂古墳」も存在しています。
かぶと塚古墳の少し東には、かつて「百舌鳥大塚山古墳(もずおおつかやまこふん)」が存在しました。かぶと塚古墳は、百舌鳥大塚山古墳の陪塚(付属墳)であった可能性が指摘されています。
百舌鳥大塚山古墳は、全長168mの規模をもつ前方後円墳でした。百舌鳥古墳群の中でも5番目に大きな古墳でしたが、1986年の宅地開発により完全に消滅しています。
今は何の痕跡もなく住宅地があるだけですが、上から見るとなんとなく前方後円墳だったことがわかります。
168mの前方後円墳ともなると、かなり高貴な人物の墓であったと考えられます。かぶと塚古墳が百舌鳥大塚山古墳の陪塚だとすると、同古墳の被葬者に近い人物の墓だったのかもしれません。
そんな訳で、上野芝駅から10分ぐらい歩くと「かぶと塚古墳」に到着しました。見た感じ、墳丘は綺麗に草が刈り込まれており、いい感じの盛り土感に仕上がっています。
見た感じ四角い方墳にしか見えませんが、もともとは全長50mの帆立貝形古墳でした。帆立貝形古墳とは、前方後円墳の前方部が極端に小さくなったもの。上から見ると帆立貝のような姿をしていることから名づけられています。
かつて、かぶと塚古墳は濠を有していましたが、現在は消滅。後円部は住宅地と道路により削平され、現在残っているのは後方部のみとなっています。
どうやら私有地にあったようで、昔は個人宅の庭だったようです。自宅の庭に古墳があるなんて最高ですね。キレイに整備され、美しい盛り土感満載の古墳ですが、なぜか柵に囲まれており中に入ることはできません。
墳丘全体が確認できるのは南側のみとなっています。北側は住宅に接しているため、古墳の姿を確認することができません。ただ、1カ所だけ空いている場所があり、少し離れた場所から墳丘を見ることができます。
ここから見ると墳丘には階段が設置されており、もしかすると今後中に入られるようになるのかもしれません。画像の工事現場は家が建ちそうな雰囲気なので、ここから見られるのも今だけでしょう。
中にも入れませんし、近くで見ても土と芝生しかないというワンダフルな古墳です。ただ、住宅地で盛り土を激写し続けると不審者率がアップするので、ソコソコで切り上げて、次の古墳を見に行くことにしました。
まとめ
今回は、堺市西区にある「かぶと塚古墳」を紹介しました。この美しい盛り土を前に、心を動かされない人はいないのではないでしょうか。事実、この私も5分ぐらい見て家に帰ろうかと思いました。中に入れない美しい盛り土が見たい衝動に駆られたときには、絶対見に行っておくべき古墳の一つといえるでしょう。そんな衝動に駆られたことがないのでわかりませんが。
という訳で、かぶと塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、中に入れない美しい盛り土古墳を紹介します。
かぶと塚古墳詳細
古墳名 | かぶと塚古墳 |
住所 | 大阪府堺市西区上野芝町6丁7−7 |
墳形 | 帆立貝形古墳 |
全長 | 50m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 不明 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
参考資料 | 百舌鳥古墳群をあるく |