はい、今回は兵庫県姫路市にある「見野長塚古墳(みのながつかこふん)」を紹介します。この見野長塚古墳ですが、よくある田んぼにポツンと残る古墳です。
しかしながら田んぼ古墳としては珍しく、兵庫県の史跡に登録されています。よくある田んぼ古墳と見せかけて県の史跡に登録された古墳があると聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、兵庫県姫路市にある「見野長塚古墳」へ行ってきました。
見野長塚古墳とは
見野長塚古墳のある、兵庫県姫路市に来ています。姫路市は兵庫県で3位の広さを持つということで、数多くの古墳が存在します。特に姫路市御国野町にある「壇場山古墳」は全長142mを測り、兵庫県3位の規模の古墳として知られています。

そんな訳で、見野長塚古墳の最寄り駅「御着駅」に到着しました。御着は、戦国時代の武将「黒田官兵衛」ゆかりの地。豊臣秀吉に仕える前の黒田官兵衛は、この地を本拠地とする小寺氏に仕えており、この御着に小寺氏の居城「御着城」が存在しました。

とりあえず御着周辺の古墳を巡りながら、見野長塚古墳へ。当初は駅から歩いて行こうと思っていましたが、思いのほか距離がありそうなのでタクシーで向かうことに。タクシーの運転手さんに、田園地帯のなにもない場所まで行ってもらえるか尋ねると「そこに何があるの?えっ古墳!長いことこの辺走ってるけど知らんかったわ」とのこと。私もGoogleマップで見つけなければ知りませんでしたが。

タクシーで10分ほど走ると「姫路古墳ロード」なる看板が目に入りました。見野長塚古墳周辺には、「見野古墳群」「火山古墳群」など数多くの古墳が存在します。ただ訪れる人は少ないのか、古墳目当てに歩いている感じの人は皆無でした。

古墳の近くで下ろしていただき、見野長塚古墳に到着。

完全に田んぼ古墳ですね
とりあえず田んぼの真ん中にポツンと茂みが残されています。タクシーの運転手さんがこれを古墳と認識できないのも無理はありません。
見野長塚古墳は、6世紀代に築造された全長35mの前方後円墳。現状は開墾により大きく削平されており、高さは1.1mほどしか残されていません。

そんな田んぼ古墳な見野長塚古墳ですが、何故か県の史跡として登録されています。現在の保存状態も悪く、登録された理由はよくわかりません。ただ、県の史跡に登録されていることにより、完全に破壊されずに済んでいるのかもしれません。
発掘調査によりかつて幅5~7mの周濠が存在したとのこと。周濠は、後円部の東側で途切れることから、この部分に墳丘へ続く土橋が掛けられていたのではないかと考えられています。
また土橋北西約5mの周濠の西端で、須恵器の器台と装飾付須恵器壺が一個ずつ立てられていました。もしかすると、この場所で須恵器を使用して祭祀を行っていたのかもしれません。他の遺物として、須恵器・土師器・石製品・鉄製品・玉類・銅鏡・土師質の埴輪など多数出土しています。

埋葬施設は前方部と後円部に横穴式石室がそれぞれ1基存在。どちらも東側に開口する、片袖式の横穴式石室となります。ただすでに大きく破壊されており、現在は後円部の石室基底部付近がわずかに遺存するのみ。
案内板によると被葬者は、6世紀前半に造られ、7世紀初頭に終焉を迎えた市川東岸の最後の首長墓とのこと。周辺に群集墳は多数存在しますが、野見長塚古墳のような単独の前方後円墳は周辺に存在しないことが根拠なのかもしれません。
という訳で、古墳の周囲を歩いてみることに。こちらが古墳の西側。どこからどうみても、田んぼの中にある謎の茂みです。墳丘は南北に主軸を置き、前方部を北に向けています。写真では左側が後円部になりますが、後円部感は全くありません。

こちらが墳丘南側で、古墳の前方部。とりあえず茂みです。

こちらが墳丘の東側。ここには田んぼ古墳としては珍しく、詳細な案内板が設置されています。これを見ると、県の史跡であることを思い出させます。


こちらが墳丘の北側で後円部で完全に茂みでした、お疲れさまでした。

兵庫県の史跡という見野長塚古墳ですが、はたから見ると田んぼにある謎の茂みにしか見えません。タクシーで1,300円払ってこれを見に来たのかと思うと胸が熱くなってきたので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、兵庫県姫路市にある「見野長塚古墳」を紹介しました。田んぼ古墳でも珍しい県の史跡に登録されたという古墳でしたが、実際に行ってみるともれなく田んぼ古墳を見ることができます。田んぼの中にポツンとある、県の史跡が見たい人にはオススメの古墳ではないでしょうか。
そんな訳で、見野長塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、県の史跡に登録された田んぼ古墳を紹介します。
見野長塚古墳詳細
古墳名 | 見野長塚古墳 |
別名 | 無し |
住所 | 兵庫県姫路市四郷町見野 |
墳形 | 前方後円墳 |
規模 | 35m |
高さ | 現存:1,1m |
築造時期 | 6世紀代 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
石室規模 | 不明 |
指定文化財 | 兵庫県の史跡:平成7年3月28日 |
出土物 | 須恵器・土師器・石製品・鉄製品・玉類・銅鏡・土師質の埴輪 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
見野長塚古墳(兵庫県指定史跡平成7年3月28日指定)
見野長塚古墳は、6世紀前半に造られ7世紀初頭に終焉を迎えた市川東岸の最後の首長墓である。墳丘が後世の耕作などで大幅に改変され、現況では南北約22m、東西5~8m、高さ約1.2mを測る。
平成6・7年度に発掘調査がおこなわれ、全長が約34mの前方後円墳であったことが判明した。後円部の直径は約22m、前方部の全長は約12mである。ほぼ南北方向に主軸をもち、後円部は北側にある。周溝は幅5~7mで後円部の東側で途切れることから、この部分に土橋が想定される。土橋北西約5mの周溝西端で、須恵器の器台と装飾付須恵器壺が一個ずつ立てられていたことから、古墳構築後に須恵器を使用して祭祀を行っていたと思われる。
主体部は前方部と後円部に一基ずつ認められ、ともに東側に開口する片袖式の横穴式石室である。前方部の石室は大正時代に調査され破壊されていたが、後円部の石室は基底部付近がわずかに遺存しており、装飾付須恵器が6個体分以上出土したことが注目される。
遺物は、須恵器・土師器・石製品・鉄製品・玉類・銅鏡・土師質の埴輪など多数出土している。