はい、今回は大阪府堺市にある「竜佐山古墳(たつさやまこふん」を紹介します。竜佐山古墳は百舌鳥古墳群の一つで、世界文化遺産に登録された古墳として知られています。
竜佐山古墳は宮内庁が管理していますが、墳丘裾部から周濠は堺市が管理するというハイブリッド管理型の古墳として知られています。宮内庁と堺市が管理する古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府堺市にある「竜佐山古墳」へ行ってきました。
竜佐山古墳とは
竜佐山古墳のある、大阪府堺市に来ています。百舌鳥古墳群は、44基のうち23基が世界文化遺産に登録され、竜佐山古墳もその23基に含まれています。
百舌鳥古墳群は、古墳が最も巨大化した時代に築造された古墳群。元々は、大小合わせて100基ほどの古墳が存在しましたが、現在は44基が保存されています。
この時代の特徴として、巨大前方後円墳の周囲に「陪塚(ばいちょう)」と呼ばれる、付属墳が多く築かれたことにあります。今回訪れた「竜佐山古墳」も大山古墳(仁徳天皇陵)の陪塚と考えられています。

仁徳天皇陵の周囲には数多くの陪塚が存在。前方部南側には、東から「収塚古墳」「孫太夫山古墳」「竜佐山古墳」「狐山古墳」の4基が仁徳天皇陵の陪塚と考えられています。

この4基のうち、方墳の狐山古墳を除いて3基は帆立貝形古墳。身分や主墳の被葬者との関係性により、どの墳形になるのかはある程度決まっていたと考えられています。竜佐山古墳は、帆立貝形古墳であることから、身分が高く、大山古墳(仁徳天皇陵)の被葬者と関係の強い人物だったのかもしれません。

そんな訳で、竜佐山古墳へ向かいます。竜佐山古墳は、仁徳天皇陵前の駐車場から徒歩5分ほどの好アクセス。竜佐山古墳に向かって歩いていると、ストーンヘンジに似た、謎の石柱群がありました。古墳の石材かなにかを建ててるのでしょうか・・・

竜佐山古墳は、前方部を西に向けた帆立貝形古墳で、北側に造り出しを持つ可能性があるとのこと。墳丘は全長61m、高さ8mを測り、2段に築成。周濠の発掘調査により、円筒埴輪や葺石が出土しています。この点より、かつて墳丘には葺石が敷かれ、円筒埴輪が並べられていたことが分かっています。

築造時期は、円筒埴輪の種類から5世紀後半に築造されたとのこと。仁徳天皇陵が5世紀前半~中頃に築造されていることから、仁徳天皇陵より後に築造されたようです。竜佐山古墳は、宮内庁が「仁徳天皇陵陪塚 ろ号飛地」として管理しているため、中に入ることができません。ただそれ以前に、墳丘の周囲には濠が巡らされているため、墳丘には近づけず。

実は宮内庁が管理しているのは墳丘だけで、集合と墳丘の裾部については堺市が管理しています。もともと古くから濠は埋め立てられ、水田として活用されていました。明治時代になり、竜佐山古墳が宮内庁に管理されたときも、濠は埋まっていたようです。

その後、大仙公園整備時の発掘調査により、幅10m程の周濠の存在が確認。墳丘の裾部と濠を堺市の指定文化財として管理されました。少しパターンは異なりますが、仁徳天皇陵の西側にある「丸保山古墳」も、宮内庁と堺市が管理しています。

ちなみに東西に並ぶ4基の古墳ですが、世界文化遺産、国・市の指定文化財、宮内庁管理にバラつきがあるのもユニークではないでしょうか。
世界遺産 | 国.市の史跡 | 宮内庁 | |
狐山古墳 | × | × | ○ |
竜佐山古墳 | ○ | ○(市) | ○ |
孫太夫山古墳 | ○ | ○(市) | ○ |
収塚古墳 | ○ | ○(国) | × |
という訳で、竜佐山古墳の周辺を歩いてみることに。大仙公園が整備されるまでは濠は埋まっていましたが、公園整備の際に濠を再現しています。墳丘の裾野を石垣のようなもので囲っているのは、その時に作られたもの。古墳の北側にも周濠が存在しましたが、現在は木製の橋をかけて周濠は埋没保存。

こちらが前方部で、杭が立てられているところが、宮内庁が管理する場所。そこから外側は堺市が管理しているようです。前方部の西側には、かつて土の橋が存在したとのこと。本当に土の橋を作ると渡る人がでるからか、高さは控えめに再現していました。

こちらが後円部。中に入ることはできないので、とりあえず見つめるしかありません。後円部に埋葬施設が存在すると思われますが、発掘調査が行われていないため不明。時代的には、竪穴式石室か粘土槨あたりでしょうか?

そんな訳で、適度に整備され周囲もひらけているので、とても見やすい古墳でした。誰が見ても古墳なので、激写していても不審者感もないので、安心して撮影ができる古墳と言えるでしょう。というわけで、久しぶりにツッコミどころも見つからなかったので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、大阪府堺市にある「竜佐山古墳」を紹介しました。墳丘は宮内庁、周濠と裾部は、堺市が管理するというハイブリッド管理型の古墳でした。平野に築造された古墳は、削平されがちですが、宮内庁が管理することにより、良好な姿を残すことができたのかもしれません。
そんな訳で、竜佐山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、宮内庁と市が管理する古墳を紹介します。
竜佐山古墳詳細
古墳名 | 竜佐山古墳 |
宮内庁名 | 仁徳天皇陵陪塚 ろ号飛地 |
住所 | 大阪府堺市堺区大仙中町18 |
墳形 | 帆立貝形古墳 |
全長 | 67m |
高さ | 7m |
築造時期 | 5世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
石室全長 | 不明 |
指定文化財 | 世界文化遺産:2019年7月6日 堺市の史跡:2016年4月11日 |
出土物 | 円筒埴輪、蓋形埴輪 |
参考資料 | ・案内板 ・百舌鳥古墳群の調査1 ・百舌鳥古墳群をあるく |
案内板
竜佐山古墳は前方部が短い帆立貝のような形をした前方後円墳で、東の孫太夫山古墳や西の狐塚古墳とともに仁徳天皇陵古墳の陪塚の一つです。調査の結果、前方部西隅には濠を渡る土手があったと考えられます。埋葬施設や副葬品などは明らかになっていません、墳丘から転落した葺石や埴輪が濠から見つかりました。埴輪の特徴から仁徳天皇陵古墳よりも新しく、陪塚の中では最も新しい時期に築かれたと考えられます。