はい、今回は奈良県桜井市にある「堂ノ後古墳(どうのごこふん)」を紹介します。整備されていない古墳は、茂みに覆われて上れないケースがよくあります。そんな中、堂ノ後古墳は一見茂みで上るのは無理と思わせて、実は上れる古墳なんです。
上って何があるわけではないのですが、上ぼれる古墳と聞いたからには上らずにはいられません。そんな訳で、今回は奈良県桜井市にある「堂ノ後古墳」へ行ってきました。
堂ノ後古墳とは
堂ノ後古墳のある、奈良県桜井市に来ています。堂ノ後古墳の南西には、卑弥呼の墓との説がある箸墓古墳など、数多くの古墳が存在。その中で、古墳時代前期に築造されたものは「纒向古墳群」といわれています。

そんな訳で、箸墓古墳など周辺の古墳を巡りながら、堂ノ後古墳へ向かいます。堂ノ後古墳の周辺は、ホケノ山古墳、宮の前古墳、茶ノ木古墳、北口塚古墳、慶運寺裏古墳など、古墳が密集したエリア。築造時期は、古墳時代前期~後期と幅広く、長期間に渡り古墳が継続的に築造されたようです。

堂ノ後古墳へ向かう途中に「ホケノ山古墳」が見えてきました。ホケノ山古墳は堂ノ後古墳と隣接する古墳で、3世紀中頃~4世紀前半に築造されたと考えられています。

堂ノ後古墳への道は少し分かりにくい場所にありますが、この池の前に堂ノ後古墳への看板があり、迷わずに行くことができます。手作り感のある手書きの看板がいい味。

という訳で、堂ノ後古墳へやってきました。完全無欠の大茂みで、古墳に上れる余地など全くなさそうに思えます。古墳の一角には案内板らしきものがありますが、経年劣化しているのか何も書かれていません。

現状は直径約35mの円墳ですが、元々は前方後円墳だったと考えられています。一時期、隣接するホケノ山古墳の周濠が堂ノ後古墳の墳丘を一部切り崩しているとの説がでました。その場合、ホケノ山古墳は3世紀中頃~4世紀初頭に築造された古墳なので、堂ノ後古墳は纏向一帯で最古の古墳ということになります。

その後の調査で出土した遺物から、堂ノ後古墳は5世紀後半に築造されたことが判明。現在は、ホケノ山古墳に先行して築造されたという説は否定されています。
ということで、古墳の周囲をまわってみることに。こちらが堂ノ後古墳の南側。恐ろしいぐらいの茂みで、侵入者を断固として排除する強い意志を感じます。ここだけ見ると、とても上れる古墳には見えません。

堂ノ後古墳の南側。こちらも上れる気配は一切ありません。

こちらが堂ノ後古墳の東側になりますが、一ヶ所だけ茂みの切れ目があり古墳に上ることができます。おそらくここに上れる個所があることに気が付く人は、あまりいないのではないでしょうか。

墳丘を上ったところに案内板がおかれています。発掘調査前の情報のため、35mの円墳と記載されている程度で、あまり堂ノ後古墳に関する詳しい情報はありません。

墳頂は意外と開けており、定期的に草刈りが行われているのでしょう。周囲の茂み具合からは想像できない雰囲気です。

この辺りが後円部とすれば、埋葬施設があると思われます。ただ埋葬施設については発掘調査が行われていないため、分かっていません。5世紀後半ということで丁度、竪穴式石室から横穴式石室への変わり目ということもあり、推測も難しいところです。
そんなわけで、無事古墳に上ることはできましたが、案内板と茂みと地面があるだけで特に見所はありません。茂みを激写し続けでもしかたがないので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県桜井市にある「堂ノ後古墳」を紹介しました。茂みだらけで上られないと思わせて、意外と上ぼれるという古墳でした。上っても特に何があるわけではありませんが、茂みだけは堪能することができます。
ホケノ山古墳と隣接するにもかかわらず、築造時期が100年近く離れており、この地の有力者一族は強い力を有し続けていたのかもしれません。いつか発掘調査が行われて、よりこの地域の歴史解明につながればと思うところです。
そんなわけで、堂ノ後古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、上れないと思ったら意外と上れる古墳を紹介します。
堂ノ後古墳詳細
古墳名 | 堂ノ後古墳 |
別名 | ドウノウシロの塚、ドウノウラ |
住所 | 奈良県桜井市箸中 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 現状:直径約35m |
高さ | 不明 |
築造時期 | 5世紀後半頃 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 不明 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 円筒埴輪片、鶏形埴輪の頭部、須恵器はそう |
参考資料 | 案内板 |
案内板
堂ノ山古墳
纏向地域から南の茅原の地域にかけての丘陵部には、有名な珠城山古墳群や箸墓古墳、茅原大墓古墳などがあるが、この地域にはほかに二十数基の中・小規模古墳が散在している。数基の方墳のほかは古墳時代後期の円墳と見られ、中には前方後円形を呈するものもいくつかあるようだ。堂ノ後古墳もこれらの古墳群の一つで、調査が行われていないため詳細は不明だが、径三五m程度の円墳のようだ。