はい、今回は奈良県平群町にある「椿井北古墳(つばいきたこふん)」を紹介します。住宅地付近にある古墳は、擁壁による魔改造が施されている古墳がいくつか存在します。この椿井北古墳は、擁壁の上に石室の壁だけが残されたという、ダブル壁古墳に仕上がっています。
擁壁の上に壁だけ残されたダブル壁古墳と聞いたからには、見に行かずにはいられません。そんな訳で壁具合を確かめるべく、奈良県平群町にある「椿井北古墳」へ行ってきました。
椿井北古墳とは
平群町には、山背大兄皇子の墓との説がある西宮古墳や、石舞台古墳に匹敵する規模の石室を持つ烏土塚古墳など、貴重な古墳がいくつか存在します。

平群町は、西に生駒山地、東に矢田丘陵に挟まれ、その中央を竜田川が流れています。生駒山地の大阪側には、高安千塚古墳群や平尾山古墳群など、数千の古墳が築かれた群集墳が存在します。一方、奈良側にも複数の古墳は存在しますが、数としては多くありません。

椿井北古墳は、生駒山地の反対側の矢田丘陵に築造されています。矢田丘陵にも三里古墳をはじめ、いくつかの古墳が存在しますが、大規模な群集墳は存在しません。

そんな訳で、椿井北古墳のある奈良県平群町に来ています。今回は「道の駅大和路へぐり」に寄ったついでに矢田丘陵側の古墳を巡ることに。竜田川東側は平野部が少なく、少し歩くと急な坂道となります。

椿井北古墳のある椿井地区は山間にあり、ひたすら坂道が続きます。住宅地を過ぎ「椿井井戸」の標識付近に椿井北古墳が存在。おそらくこんな所に古墳があるとは、誰も気がつかないでしょう。

古墳名の由来は、椿井地区の北側に存在するからという、一切ひねりのないネーミング。古墳のある場所を見ると、キッチリ茂みが全開でした。過去にチャレンジした方の記録には「夏場は茂みで無理」とありましたが、冬でも手ごわそうな雰囲気。
擁壁に近づくと「椿井北古墳」という看板が設置されていました。変な場所にある古墳は大抵看板もありませんが、椿井北古墳には珍しく看板が設置されていました。

擁壁下から古墳の真下へ行くと、横穴式石室らしき石材が見えました。ただこの辺りは足場が悪く、上れそうにありません。

少し戻り、先程の看板付近から擁壁を上ることに。茂みをかき分け、少し歩くと巨石を発見。もともとは天井石に使用されていたのかもしれません。他にも天井石と思われる巨石が存在したそうですが、現在は民家に置かれているとのこと。ここから巨石をどうやって運んだのか、そして何に使っているのか…謎過ぎて夜も眠れません。

巨石より奥は足場が悪く進めませんが、茂みをかき分け石室付近に到着。こちらが、椿井北古墳になります。

壁と茂みでした
古墳を覆う封土は失われ、西側は道により削られています。詳細は分かっていませんが、古墳時代後半に築造された円墳と考えられています。埋葬施設は横穴式石室ですが、石材は奥壁と東壁を除き消失。石室は自然石で構成されていますが、平らな面をうまく活かしています。

椿井北古墳からすぐ南には「椿井宮山古墳」が存在します。椿井宮山古墳の横穴式石室は、小型の石材を多く積み重ねて上部にいくほど狭くなる持ち送る構造で、天井石を用いていません。至近距離にありながらも、石室の構造が大きく異なります。

遺物としては、土師器と須恵器が見つかっている以外には不明。被葬者についてもよくわかっていません。そんな訳で、隣には住宅地が広がっており、謎のおじさんが擁壁の上で謎の壁を激写していると怪しさ抜群なので、とりあえず帰ることにしました。
まとめ

今回は、奈良県平群町にある「椿井北古墳」を紹介しました。擁壁上の、わずかな石室の壁が残る、まさにダブル壁古墳といえるでしょう。だから何だと言われても困るのですが、壁古墳好きなら押さえておきたい古墳ではないでしょうか。
そんな訳で、椿井北古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、擁壁の上にある壁古墳を紹介します。
椿井北古墳詳細
古墳名 | 椿井北古墳 |
住所 | 奈良県生駒郡平群町椿井 |
墳形 | 推定:円墳 |
全長 | 不明 |
高さ | 不明 |
築造時期 | 古墳時代後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室 |
指定文化財 | なし |
出土物 | 土師器、須恵器 |
参考資料 | ・平群町史 ・奈良県遺跡地図web |