はい、今回は奈良県平群町にある「烏土塚古墳(うどづかこふん)」を紹介します。一般的にあまり知名度の高くない古墳ですが、実は平群町における最大級の古墳として知られています。
特に巨大な横穴式石室が特徴で、その規模は石舞台古墳に匹敵するとも。巨大な石室と聞いたからには見に行かずにはいられず、気がついたら奈良県平群町にある烏土塚古墳に向かっていました。
石舞台古墳に匹敵する石室
烏土塚古墳のある、奈良県平群町に来ています。平群町は、西を生駒山地、東を矢田丘陵に挟まれた町で、面積の半分近くが山地に占められています。
そのため平群町では、平地に築かれた古墳が少なく、大半の古墳が生駒山地や矢田丘陵に築造されています。その中で、烏土塚古墳は、数少ない平野部に築造された古墳です。
そんな訳で、平群町の古墳巡りをしながら烏土塚古墳にやってきました。古墳に向かってブラブラ歩いていると、突然巨大な釣り堀が出現。古墳と釣り堀という組み合わせがあまりにかけ離れており、パニックです。
ちなみに烏土塚古墳にくる古墳ファンが来るためか、釣り堀の駐車場を500円で利用できるようです。周辺には駐車場も駐車スペースもないので、これはありがたいかもしれません。まあ、釣りと関係ない人は勝手に停めるなという意味なのかもしれませんが・・・
烏土塚古墳は6世紀後半に築造された、全長60.5m、高さ6mの前方後円墳。この規模は、平群町において最大規模。
かつて宅地開発により消滅の危機にありましたが、地元の保存運動により保存されることに。1971年、国に史跡に登録され、現在は整備されて上ることができます。
墳丘の西側に細い階段が設置されており、この途中に案内板が存在します。古墳の概要を知ることができますが、平群町の案内板は何故か見上げる位置に設置されていることが多くやや読みづらめ。
途中まで上ると周囲が一望でき、釣りをしているオッチャン達の姿が見えます。古墳から釣り堀が見えるというのも、なんだか不思議な光景ではないでしょうか。
更に階段を上っていくと、墳頂が見えてきました。自然丘陵を生かして造られていますが大部分が盛り土で、10~20㎝の厚さで版築されていたようです。墳丘の裾には小さな溝が巡らされていたようですが、上っている感じでは、どこが裾なのかもよく分かりません。
こちらが、前方部になります。古墳時代後期に造られた古墳ということで、墳丘には葺石は敷かれていなかったとのこと。ただ円筒埴輪が見つかっていたことから、墳頂寄りに1.5~2m間隔で埴輪を並べられていたようです。
こちらが後円部で、真下に横穴式石室が置かれています。後円部の先に階段が設置されており、石室まで行くことが可能。
烏土塚古墳は、南側に開口した横穴式石室を有しています。石室手前の前庭部からは、巫女形埴輪、須恵器、大甕などがまとまって出土しており、ここで祭祀が行われていたと考えられています。
こちらが、玄室に続く羨道。石室の石材は、西北西800mほどの場所にある石床神社付近から運ばれた巨石とのこと。
ふと足元を見ると、なかなか怖い注意が書かれてきました。それにしても何故「崩れるかもしれません」ではなく「崩れます」と崩れる前提何でしょうか…いや、恐すぎです。
石室上部をみていると、かなりの巨石が天井石に用いられています。それにしてもこんな巨石をどうやって丘の上にまで運んできたのでしょうか。持って行けと命令されたら発狂するかもしれません。
石室入口には柵が設けられているため、中に入ることはできません。ただ柵越しに中をのぞくことはできます。玄室の規模は、全長6m、高さ4.4m、幅1.9m。平面規模に対して高さのある点が特徴。奈良県でも大規模な石室に類し、有名な石舞台古墳より少し小さいサイズとのこと。
石室内部には、半壊した組み合わせの家形石棺が残されています。本来は先ほどの羨道にも石棺が置かれていたようで、複数名が葬られていたことが分かっています。どちらも二上山から産出した凝灰岩を用い、一部に赤色の顔料を確認。本来は、赤く塗られていたものと思われます。また石棺の側面には、線刻が確認されています。
副葬品として、石室奥壁付近から管玉類、形象埴輪、鉄鏃、小玉などが出土。特に副葬品として形象埴輪が出土していることが、烏土塚古墳の特徴とされています。
古墳時代後期に入ると、古墳に埴輪が用いられることが少なくなります。そうした中、墳丘や石室から円筒埴輪や形象埴輪が出土している例は珍しいとのこと。平群町の古墳における祭祀を考える上で、貴重な史跡といえるでしょう。
これほどの規模を有する古墳ですが、被葬者はよく分かっていません。平群町を本拠地とした平群氏に関するものとも考えられますが、実際のところは不明。
ちなみに後から知ったのですが、平群町教育委員会で申し込むと石室内に入ることができたようです。そんな訳で、次回は石室内に入ってみたいと思います。
まとめ
今回は、奈良県平群町にある「烏土塚古墳」を紹介しました。平群町最大の古墳にして、奈良県屈指の石室を有する見ごたえのある古墳といえます。墳丘も残され、巨大石室と石棺も見ることができるという、パーフェクトな古墳でした。
B級古墳好きとしては、ツッコミどころが少なくやや寂しいところもありますが、平群町の古墳巡りではぜひ見ておきたい古墳ではないでしょうか。
という訳で、烏土塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、石舞台古墳に匹敵する巨大石室古墳を紹介します。
烏土塚古墳詳細
古墳名 | 烏土塚古墳 |
別名 | 大塚 |
住所 | 奈良県生駒郡平群町春日丘1丁目6−4 |
墳形 | 前方後円墳 |
全長 | 60.5m |
高さ | 6m |
築造時期 | 6世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 横穴式石室(両袖式) |
国の史跡 | 1971年7月30日 |
出土物 | 鏡(四獣鏡)、金銅装太刀、金銅装馬具、玉類、土器類(須恵器、土師器)、形象埴輪、巫女形埴輪、円筒埴輪 |
参考資料 | ・案内板 ・ふるさとへぐり再発見 ・平群町史 |
案内板
史跡 烏土塚古墳
所在地 生駒郡平群町春日丘一丁目
史跡指定 昭和四十六年七月三十日
文部省告示第一八〇号史跡の部第一(古墳)
説明 信貴山生駒山系より東にのびる傾斜の丘陵の端部に築造された北面する平群谷最大の前方後円墳。墳丘は全長六十.五m、後円部直径約三十二m、高さ約六m。前方部との比高は約二m。主体部は南に開口する横穴式石室で、後円部の中心に玄室奥壁を配している。
玄室の長さ約六m、幅約一.九m、高さ約四.四mで、両袖式の形態を備えている。羨道部は天井石を欠くが、長さ約八.二m、幅約二.一m、ほぼ中央から墓域外へ約六十六㎝の暗渠式排水溝が設けられ、石舞台古墳に匹敵する巨石古墳に数えられる。
玄室内には、大型の二上山産の白色凝灰岩製の組合式家形石棺が置かれ、羨道部にも同形式の石棺底石が検出されている。玄室の石棺の内側及び蓋石には赤色の顔料の痕跡があり、側面には斜格子状の線刻も認められる。
盗掘を受けていたが、出土遺物は、鏡(四獣鏡)、金銅装太刀、金銅装馬具、玉類、土器類(須恵器、土師器)等豊富で、立体的な副葬状況が明らかとなった。また、羨門付近で巫女形埴輪や子持器台が出土し、横穴式石室の墓前祭祀を考える上でも貴重。築造時期は古墳時代後期の六世紀後半と考えられ、平群氏族長の墳墓であると推定される。
平群町教育委員会