長塚古墳|百舌鳥古墳群8番目に大きな古墳~大阪府堺市~

長塚古墳アイキャッチ

はい、今回は大阪府堺市にある「長塚古墳(ながつかこふん)」を紹介します。長塚古墳は、百舌鳥古墳群の一つで、世界文化遺産に登録された古墳です。

そんな世界文化遺産の長塚古墳は、百舌鳥古墳群の中で8番目に大きな古墳で知られています。ただ「8番目に大きい」という中途半端さを特徴にしている段階で、ネタがない古墳というのを察していただきたいと思います。そんな訳で、百舌鳥古墳群で8番目に大きいという、長塚古墳に行ってきました。

長塚古墳とは

長塚古墳は、JR百舌鳥駅から徒歩20秒という好立地。ただ存在感があまりないので、古墳と気づく人は少ないかもしれません。

そんな訳で、駅から20秒かけて長塚古墳にやってきました。駅前の好立地ということで、古墳の脇には無人のレンタルサイクルが置かれていました。ちなみにこのレンタルサイクルはスマホでレンタルから決済でき、借りた場所以外の拠点に返却も可能なので古墳巡りに時々利用しています。

さて駅近物件の長塚古墳ですが、フェンスに囲まれており中に入ることができません。しかも、北、西、南の大部分を住宅地に囲まれており、間近で墳丘を見られるのは東側のみ。

こちらは古墳の後方部に当たる場所で、墳丘には石碑が2基建てられています。

仁徳天皇陵と彫られたこちらの石碑は、もともと1931年にJR百舌鳥駅付近に建てられていたものが、ここに移設されたもの。仁徳天皇陵の石碑なのに、長塚古墳に置かれているのが謎過ぎです。

長塚古墳

もう一つの石碑には「長山古墳」と彫られています。長塚ではなく長山となっているのは「史跡名勝天然記念物保護法(現文化財保護法)」に指定された際に「長山古墳」という名前で登録されたからとのこと。

長塚古墳

その後1958年に国の指定史跡に登録する際に「長塚古墳」の名称で登録したため、このようになっているようです。

長塚古墳は、5世紀中頃から後半に築造された前方後円墳。墳形が後円部に比べ前方部の幅と高さが発達した墳形をしており、百舌鳥古墳群の中でも終盤に築造された古墳とのこと。

築造時には葺石が敷かれ、埋没していますが幅14mの濠が確認。また南側のくびれ部に造出しと呼ばれる突出部が存在しています。

埋葬施設については、地中レーダー探査から竪穴式石室であることが分かっています。かつて長塚古墳の南側には鳶塚古墳、原山古墳、茂右衛門山古墳、狐塚古墳が一列に並ぶように存在していました。

長塚古墳

これらの古墳は、長塚古墳の陪塚との説があります。この点から長塚古墳は、仁徳天皇陵からほど近い場所にあるものの、独立した古墳ではないかと考えられています。

という訳で、長塚古墳の陪塚があった場所を見に行こうと思います。

こちらが長塚古墳の南側。見えているところが、墳丘のくびれ部にあたる「造出し」になります。もちろん横からみても茂みがあるだけ。おそらくこの近くに狐塚古墳があったようですが、何の痕跡もありません。

長塚古墳

こちらが、大山公園内にある鳶塚古墳跡。鳶塚古墳は直径21mの円墳でしたが、1955年の土取りにより消滅。現在は跡地に盛り土をして、古墳跡として整備されています。多分、案内板がなければ絶対分かりません。

鳶塚古墳

こちらが鳶塚古墳の少し南東にあった原山古墳です。直径25mの円墳で刀剣や鉄鏃、鉄斧などが出土。原山古墳も鳶塚古墳と同じく1955年の土取りで消滅。こちらも、盛り土をして古墳跡として整備されています。鳶塚古墳と同様に5世紀中頃から後半の築造と考えられており、長塚古墳と同時期に築造されたようです。

原山古墳

そんな訳で、なかなか見所が少ないという長塚古墳でした。「百舌鳥古墳群で8番目に大きな古墳」というネタに触れることなく終わってしまいそうなので、とりあえず百舌鳥古墳群の規模ランキングBEST10を置いておきます。

順位墳丘の大きさ規模
1大仙陵古墳(仁徳天皇陵)486m
2上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)365m
3ニサンザイ古墳300m
4御廟山古墳203m
5乳岡古墳155m
6田出井山古墳(反正天皇陵)148m
7いたすけ古墳146m
8長塚古墳106.4m
9永山古墳100m
10丸保山古墳87m

まとめ

長塚古墳

今回は、大阪府堺市にある「長塚古墳」を紹介しました。それなりに良好な状態で残されている古墳ですが「中に入れない」「情報がない」「見る場所がない」という豪華三点セットのため、注目されにくい古墳といえるでしょう。ただ、中に入れて、情報があって見る場所がある古墳でも注目されるかといえば分かりませんが。

という訳で、長塚古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、8番目に大きい古墳を紹介したいと思います。

長塚古墳詳細

古墳名長塚古墳
住所大阪府堺市堺区百舌鳥夕雲町2丁
墳形前方後円墳
全長106.4m
高さ8.3m
築造時期5世紀後半
被葬者不明
埋葬施設竪穴式石室
出土物円筒埴輪、朝顔形埴輪、衣蓋形埴輪、盾形埴輪
世界文化遺産2019年7月6日
国指定史跡1958年5月14日
参考資料・案内板
・百舌鳥古墳群をあるく
・百舌鳥古墳群の調査1
・百舌鳥古墳群の調査2

案内板

墳丘は2段に築かれ、南側のくびれ部には造り出しがあります。墳丘の形は後円部よりも前方部の幅と高さが発達したもので、新しい時期の傾向を示します。地中レーダー探査の結果、後円部の中央に石で築かれた埋葬施設があると分かりました。現在は埋まっていますが、墳丘の周囲には幅14mの濠が巡り、墳丘と濠からは円筒埴輪や蓋形埴輪が見つかりました。
かつて本墳の南側には、狐塚古墳があったとされますが、その位置は堤の痕跡と重なり、堤の名残とも考えられます。

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