はい、今回は兵庫県明石市にある「カゲユ池古墳」を紹介します。明石市には、現存する古墳が5基ほどしか存在しません。その中でもカゲユ池古墳は、墳丘が比較的良好に残る貴重な古墳として知られています。
明石市には現存する古墳が少ないということもあり、このカゲユ池古墳が市内で登録されている2基の指定文化財の古墳のうちの1基となっています。そんな訳で、明石市に残る貴重な古墳の「カゲユ池古墳」に行ってきました。
カゲユ池古墳とは
カゲユ池古墳のある、兵庫県明石市に来ています。明石市は神戸市と加古川市の間に位置し、海岸線に沿って東西に細長い市となっています。
この辺りは山地と海岸が狭く、平野が多くありません。その為、丘陵地に存在した多数の古墳が開発により消滅しています。カゲユ池古墳は明石市のほぼ中央部の平野に作られた古墳で、西明石駅より西へ徒歩20分ほどの場所に存在。
カゲユ池古墳のすぐ横には、明石市のコミュニティバスの停留所があり「カゲユ池古墳前」という名前にまでなっています。ちなみにバスは1時間に1本しかないので、駅からなら歩いたほうが早いです。
というわけで、バスではなくJR西明石駅より歩いてやってきました。カゲユ池古墳は、明石市公設地方卸売市場の敷地内にありますが、どこからどこまでが市場の敷地なのかはよく分かりません。
ただ古墳の横には案内板が設置されており、基本的には自由に見てもいい雰囲気は漂っています。ちなみに古墳の管理も、明石市公設地方卸売市場が行っているようです。
名前にある「カゲユ」の由来ですが、平安時代の官職にある「勘解由使(かげゆし)」が関係してそうですが、詳細は不明。
もともとこの場所には江戸時代に灌漑用として作られた「カゲユ池」が存在しました。
かつてカゲユ池には6基の古墳が存在していましたが、明石市公設地方卸売市場の建設のために埋め立てられています。
6基の古墳のうち2〜6号墳は、池の堤の一部としてわずかに痕跡が残されているだけだったようで、埋立工事により消滅。比較的墳丘が残っている1号墳のみ保存され、明石市の指定文化財に登録。
カゲユ池古墳の周囲にはフェンスが張り巡らされており、中に入ることはできません。全国に中に入れない古墳は結構ありますが、このように専用のフェンスを作って保護している古墳は少ないかもしれません。
墳丘を見ると、小ぶりな盛土が中央に鎮座していました。築造当時と比べると大きく削平されているようで、フェンスで保護しておかないと封土が失われるのかもしれません。しかし墳丘とフェンスの間がかなり広すぎるような気も。
カゲユ池古墳は、6世紀中頃に築造された直径16m、高さ1.3mの円墳。埋葬方法としては、木棺を直送していたとのこと。
墳丘からは管玉、石鏃、須恵器などが出土。管玉(くだだま)は、正円形の筒状の石に穴を開けた装飾品で、石鏃(せきぞく)は石製の矢の矢尻になります。鉄の矢尻が見つかることはよくありますが、この時代に石の矢尻は珍しいかもしれません。被葬者は不明ですが、地元の有力者の墓と思われます。
墳丘はところどころ崩れかけていますが、樹木のおかげでなんとか踏ん張っている感じ。
古墳をぐるっと回っていると、なぜか木にバイクのヘルメットが置かれていました。置いているのか忘れているのか古墳に供えているのか・・・
ぐるっと一周しましたが、どの角度から見てもフェンス越しに謎の盛り土が見えるだけでした。あまり人はいませんが、古墳の隣がすぐに民家なので、不審者と怪しまれる前に、とりあえず帰ることにしました。
まとめ
今回は、兵庫県明石市にある「カゲユ池古墳」を紹介しました。フェンスと案内板がなければ、謎の盛り土にしか見えませんが、市の指定文化財である古墳ということで比較的手厚く保護された古墳ではないでしょうか。
とはいえ、中に入れず、見た目も盛り土で情報も少ないということで、ネタ的には厳しい古墳ではあります。盛り土ファン以外にはなかなかテンションが上げにくい古墳かもしれません。人生で盛り土ファンに出会ったことはありませんが。
という訳で、カゲユ池古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、フェンスに囲われた盛り土古墳を紹介します。
カゲユ池古墳詳細
古墳名 | カゲユ池古墳 |
住所 | 兵庫県明石市藤江2028−4 |
墳形 | 円墳 |
全長 | 南北10m、東西16m |
高さ | 1.2m |
築造時期 | 6世紀中頃 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 木棺直送 |
出土物 | 管玉、石鏃、須恵器 |
指定文化財 | 市の史跡:1976年2月5日 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
明石市指定文化財(昭和五〇年度)
史跡「カゲユ池古墳(一号墳)」
一、カゲユ池古墳群のうち、二〜六号墳は昭和五〇年四月に発掘調査。管玉(くだたま)・石鏃(せきぞく)・須恵器(すえき)が出土した。
一、一号墳は、直径一六m、高さ一、三mの六世紀中頃の円墳である。藤江地区の古代史を理解するうえで欠かせない遺跡である。
明石市教育委員会