稗沢池古墳|池の中にある山陽道沿いの古墳~兵庫県明石市~

稗沢池古墳

はい、今回は兵庫県明石市にある「稗沢池古墳(ひえざわいけこふん)」を紹介します。この稗沢池古墳ですが、池のを貫く土手上に存在するという奇妙な古墳。

池を貫く土手は、奈良時代に造られた山陽道跡といわれており、奈良時代の道跡に古墳が付属する感じになっています。池の中に古墳があるだけでなく、山陽道まで通るとは一体どんな状態なのか?その謎を探るべく、兵庫県明石市にある稗沢池古墳に行ってきました。

稗沢池古墳とは

稗沢池古墳のある、兵庫県明石市に来ています。今回は、明石市から播磨町にかけて点在する小規模古墳を回るついでに来ています。車ならば簡単に回ることができるのですが、電車とバスを利用しているためかなり歩く羽目に。

JR魚住駅からは、明石市のコミュニティバスである「たこバス」を利用して「弊塚古墳(ぬかづかこふん)」へ。その後、国道2号線沿いを歩いて稗沢池古墳へ向かいます。

TAOバス

国道を歩いていると、奇妙な看板が目を引きました。筋トレ中のオジサン写真ですが、よく見ると不動産屋の広告のようです。他の不動産会社と差別化を試みたのかもしれませんが、ちょっとチャレンジし過ぎではないでしょうか…

そんな筋トレおじさん看板を後に、稗沢池古墳のある稗沢池へ到着。この稗沢池は、江戸時代以前に農業用のため池として作られたようです。

稗沢池古墳

兵庫県の瀬戸内海側は降水量が少ないため、農業用のため池が数多く造られたとのこと。ちなみに兵庫県はため池の数が24,400ヵ所と全国で1位。明石市内だけでも107ヵ所ものため池が存在するようです。

稗沢池古墳

稗沢池は、上から見るとこのような感じで、池の真ん中を細い土手が縦断しています。この細長い土手が古代の山陽道の跡で、土手に付属する丸い部分が「稗沢池古墳」。

稗沢池古墳
国土地理院地図より

この山陽道は、7世紀の大化の改新時代に造られたと考えられています。古代の山陽道には30里ごとに駅家(うまや)が整備されるなど、大宰府と都を結ぶ重要な官道として機能していました。もともと道幅は10mほどあったようですが、現在はおそらく3~4mほどしか残っていません。

そんな訳で、古墳の近くにまで行ってみます。こちらが池の西端から見た稗沢池古墳。下部は石垣のようなもので覆われていますが、恐らく後世に補強されたものと思われます。

稗沢池古墳

稗沢池古墳は古墳時代後期(6世紀~7世紀)に築造されたと考えられています。直径15mほどの円墳ですが、本来の規模や墳形は不明。埋葬施設や遺物なども、発掘調査が行われていないため分かっていません。

稗沢池古墳

時系列的には稗沢池古墳が築造された後に、山陽道が整備されたようです。古代の山陽道は直線に整備されたため、古墳があってもできるだけ避けずに整備したのかもしれません。

ちなみに地元ではこの稗沢池古墳を「弁天さん」と呼んでおり、信仰の対象となっています。弁天とは弁才天のことで、ヒンドゥー教の「サラスヴァティー」が日本に伝わり変化した神様。日本では七福神の一人として有名ではないでしょうか。

弁才天の元となったサラスヴァティーが川辺に住む神様だったようで、日本で弁才天を祭る神社は池の中に社が建てられます。稗沢池古墳も池の中にあるので、弁才天を連想して「弁天さん」として祭られたのかもしれません。

稗沢池古墳

そんな訳で、池の中にあるという珍しい古墳ですが、古墳の情報は皆無。また池の中にあるため行くこともできず、見つめることしかできません。仕方なく古墳を激写して帰ることにしました。

まとめ

稗沢池古墳

今回は、兵庫県明石市にある「稗沢池古墳」を紹介しました。池に古代の山陽道跡が残るということだけでも珍しいのですが、古墳まであるというユニークな史跡でした。

わりと観光資源になりそうな史跡にも関わらず、とくにアピールする気がないのは少しもったいないかもしれません。

そんな訳で、稗沢池古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、池の中に古代の街道と一緒にある古墳を紹介します。

稗沢池古墳詳細

古墳名稗沢池古墳
住所兵庫県明石市二見町
墳形円墳
全長約15m
高さ不明
築造時期不明
被葬者不明
埋葬施設不明
出土物不明
参考資料・案内板

案内板

稗沢池と古代山陽道
稗沢池の中央には、池をほぼ二分する直線の堤がみられます。 これは、古代(奈良一平安時代)の山陽道の道路痕跡であると考えられており、2001年には東側の休耕田から古代遺構が発掘されました。
古代の山陽道は、中央政府によって計画的に造成された唯一の「大路」で、直線的なのが特徴です。
弁天さん
池を横切る堤の端にすこし盛り上がった小山があります。 これは古墳時代後期につくられたとされる稗沢池古墳です。直径15メートルほどの小さい古墳ですが、地元では「弁天さん」と呼ばれ、大切にされています。

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