はい、今回は「檜尾塚原古墳群8号墳(ひのおつかはらこふんぐんはちごうふん)」を紹介します。檜尾塚原古墳群8号墳は「木芯粘土室」という珍しい埋葬施設を持つ古墳ということで、移設復元されています。
しかしながら、保存方法がコンクリートでガチガチに固められ、まるで「トーチカ」のような姿をしています。トーチカのような古墳と聞いたからには見に行かずにはいられません。そんな訳で、大阪府堺市にある檜尾塚原古墳群8号墳へ行ってきました。
見た目は完全にトーチカ
檜尾塚原古墳群8号墳のある大阪府堺市に来ています。檜尾塚原古墳群8号墳は、光明池駅から徒歩5分ほどの場所という、好アクセスな場所に存在。元々は保存場所から70mほど南西に位置していましたが、開発により現在地に移設復元されています。
そんな訳で今回は、泉北高速鉄道に乗り、最寄りの光明池駅までやってきました。光明池駅は免許更新センターの最寄り駅ということで、わりとメジャーな駅。
現在は和泉市まで延伸されて和泉中央駅が終点ですが、かつては光明池駅が終点でした。ちなみに駅名の光明池という名前は、駅から南に1㎞ほどの場所にある「光明池」からきています。光明池は、1936年に灌漑用に整備された比較的新しい池ですが、池の近くの寺で光明皇后が誕生したという伝説にちなんで名づけられています。
目的の檜尾塚原古墳群8号墳は、駅から5分ほどの野球場の脇に存在。しかし野球場に古墳があるというのも珍しいかもしれません。野球の帰りに「お、今日はついでに古墳でも見に行くか」という需要を見込んだのかもしれません。そんな人に会ったことはありませんが。
野球場脇の道を少し進んだところに階段があり、ここを上ると古墳が存在します。ただ、案内板もなく、完全に古墳の気配はゼロ。本当にここに古墳があるのか、いささか不安に。
階段を上った奥に何やら構造物らしきものが見えてきました。
どうやらこれが檜尾塚原古墳群8号墳のようです。
完全にトーチカですね!!
あの柵から機関銃が掃射されても、全く違和感がありません。もしかしてバンザイ突撃の果てに、二階級特進なんでしょうか?いくつもの防御力高めのコンクリート古墳を見てきましたが、過去最高の防御力ではないでしょうか。
檜尾塚原古墳群8号墳は、6世紀頃に築造された直径13m、高さ3mの円墳。埋葬施設は「木芯粘土室(もくしんねんどしつ)」という珍しい構造を有しています。埋葬施設入口は施錠がされ中に入ることはできませんが、隙間から再現された木芯粘土室を見ることができます。
復元された埋葬施設というわけで、比較的キレイな状態。木芯粘土室とは、墓壙を掘りそこに丸太材を等間隔に並べ、粘土で分厚く巻いて構築された埋葬施設とのこと。
檜尾塚原古墳群は、和田川の支流、甲斐田川の西側河岸段丘上を中心に分布する後期の古墳群。泉北ニュータウンの開発により多くが失われ、現在は数基残されるのみとなっています。
被葬者は不明ですが、須恵器生産に関わった豪族の墓ではないかと考えられています。檜尾塚原古墳群周辺は、古墳時代の須恵器の一大生産地として知られています。この一帯は、古墳時代から平安時代にかけて、須恵器を焼くための窯が600~1000近く存在しました。
この窯跡群は、『日本書紀』に記載された「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」と考えられています。古代の大阪湾は「茅渟の海」と呼ばれており、茅渟県は大阪湾東部の沿岸に置かれていました。位置的にも近いことから、この窯跡群が茅渟県陶邑と考えられています。
陶邑窯跡群周辺には檜尾塚原古墳群の他、牛石古墳群、陶器千塚など多くの古墳が存在します。木芯粘土室を持つ古墳は、その多くが須恵器の生産地に所在することから、須恵器の生産集団と深い関係を持つと考えられています。
とりあえず、中に入ることができないのでトーチカの上に登ってみました。だからといって何が見える訳でもないんですが。
見た目はものすごく頑丈そうなので、北朝鮮からミサイルが撃ち込まれてきたらここに逃げ込むのが良いのかもしれません。ここにたどり着く前にやられるかもしれませんが。
まとめ
今回は大阪府堺市にある「檜尾塚原古墳群8号墳」を紹介しました。木芯粘土室が復元された珍しい古墳ですが、トーチカのインパクトに全て奪われてしまいました。トーチカ古墳好きにはたまらない古墳ということで、トーチカファンにはぜひ訪れてほしい古墳といえるでしょう。
という訳で、檜尾塚原古墳群8号墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、珍しい埋葬施設を持つトーチカ古墳を紹介します。
檜尾塚原古墳群8号墳詳細
古墳名 | 檜尾塚原古墳群8号 |
住所 | 大阪府堺市南区鴨谷台2丁3−1 |
墳形 | 円墳 |
一辺 | 13m |
高さ | 約3m |
築造時期 | 6世紀 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 木芯粘土室 |
出土物 | 不明 |
参考資料 | 案内板 |
案内板
檜尾塚原古墳群8号墳
この古墳は、復元径13メートル、高さ約3メートルの円墳で、古墳時代後期(6世紀)に築造されました。埋葬施設は、木の骨組みに粘土の壁を設けた木芯粘土室と呼ばれる珍しい構造です。木芯粘土室を持つ古墳は、そのほとんどが須恵器の生産地に所在することから、須恵器の生産集団と深い関係を持つ古墳と考えられています。
この古墳は大阪府教育委員会の調査後に、ここから南西約70メートル位置から移設復元されたものです。
堺市