はい、今回は奈良県天理市にある「西山古墳(にしやまこふん)」を紹介します。西山古墳は、1段目が「前方後方墳」、2段目が「前方後円墳」という大変珍しい古墳として知られています。
100mを超える前方後方墳は全て奈良県に集中していますが、その中でも西山古墳は日本最大の前方後方墳なんです。そんな珍しく巨大な西山古墳は、なんと登られる古墳とのこと。
冬場は草が刈られて登りやすいとの情報を入手したので、早速日本最大の前方後方墳を体感するべく、奈良県天理市に行ってきました。
日本最大の前方後方墳は登れるが・・・
西山古墳のある奈良県天理市に来ています。今回は、なら歴史芸術文化村で開催された「物部氏ゆかりの古墳群の出土品展」を見に来たついでに訪問しました。
物部氏は、饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖神にもつ古代豪族で、九州から大和移住した一族。神武天皇の東征に協力して以降、大和王権において主に軍事面を担っていました。
西山古墳の近くにある「石上神宮」は、大和王権の武器庫だったとされ、物部氏が管理していたと考えられています。
物部氏は、この天理市一帯を本拠地としていたことから、周辺の古墳も物部氏と関係が深い古墳と考えられています。
西山古墳一帯には数多くの古墳が存在し「杣之内古墳群(そまのうちこふんぐん)」と呼ばれています。杣之内古墳群は、古墳時代前期から後期にかけて継続的に古墳が造られており、杣之内古墳群の被葬者達は、大和王権において高い地位にあり続けたようです。
西山古墳は杣之内古墳群における最大の古墳であり、一族の中でも特に強い権力を有した人物の墓と思われます。西山古墳は、4世紀後半に築造された全長183m、高さ13mの前方後方墳。3段に分けて造られており、1段目は前方後方墳ですが、2段目は前方後円墳という珍しい形をしています。
埋葬施設は、後方部に竪穴式石室が存在しました。しかし盗掘された上に、太平洋戦争時に高射砲が設置され、現在は失われているとのこと。また西山古墳北側に隣接する塚穴山古墳の発掘調査の際、古墳南東部分の下層から西山古墳の外堤が確認され、3基の埋葬施設が見つかっています。
被葬者は不明ですが、4世紀後半に独自の墳形でこれほど大規模な古墳がということで、大豪族の首長と考えられています。
という訳で、なら歴史芸術文化村から10分ほどの場所にある西山古墳にやってきました。古墳の北と東は馬場になっており、天理大学の馬術部の敷地になっています。
古墳に登るために墳丘に近づいてみると…
全力で茂みですね
背丈ほどの草木がこれでもかと茂りまくり、登れるオーラが一切ありません。冬は登れると聞いていたのですが、もしかしたら時期が早かったのかもしれません。とりあえず登られる場所を探しに、グルッと回ってみることに。
古墳の南側は、かつての周濠が畑になっています。
古墳沿いに西に歩くと大きな池があり、周濠の名残とのこと。
南側をぐるっと回ってみましたが、登れそうな場所は見つかりません。近くにいた地元の方に尋ねてみると「古墳の東側にある案内板から登れるけど、この時期は草だらけやで・・・」と、教えていただきました。
案内板の近くは先ほど通ったのですが、そんな道あったかなと思い戻ってみましたが、これらしいです。
いやいや、無理ですよ!
とはいえはるばる天理市までやってきたのに、ここで登らないとかありえません。そんな訳で、気合を入れて登ることにしました。
登り始めてみると意外と踏みしめた道があり登れなくはありません。ただ大量の笹が凄まじく、真横に伸びた笹をちぎったり踏み潰したりとかなりの強行軍です。
道らしきところを進んでいたつもりですが、突然道が無くなりました。どこで間違えたのか分かりませんが、もう少しで墳頂なので、道なき道を無理やり突き進んでいきます。もうメチャクチャです。
そんなこんなでボロボロになりながら墳頂に到着。
完全に茂みですね!!
この後方部の辺りに竪穴式石室らしき窪みがあるらしいのですが、窪みどころか地面も見えません。有難うございました。
この先を進むと、前方部へ行ける気がするのですが、行っても茂みしか見えないことは間違いないので、辞退させていただきました。
という訳で登ったものの、茂みしか見えない、日本最大の前方後方墳を堪能させていただきました。
あまり謎の茂みでガサガサしていると、天理大学の学生達から不審な目で見られそうなので帰ることに。本当にこの草が刈られる日が来るのかわかりませんが、次は楽に登りたいと思います。
まとめ
今回は、奈良県天理市にある「西山古墳」を紹介しました。登れると思っていたら、笹祭りだった訳ですが、気合いを入れたら登れることが分かりました。出来れば気合い無しで登りたいところです。
登れる巨大前方後方墳という珍しい古墳なので、普通にオススメしたい古墳といえます。ただ訪問する時期だけは間違えないようにしてください。
という訳で、西山古墳の紹介はこの辺で。次回はまた別の、登れると思ったら笹祭りだった古墳を紹介します。
西山古墳詳細
古墳名 | 西山古墳 |
別名 | ナガリヤマ(勾山) |
住所 | 奈良県天理市杣之内町827 |
墳形 | 前方後方墳 |
全長 | 183m |
高さ | 19m |
築造時期 | 4世紀後半 |
被葬者 | 不明 |
埋葬施設 | 竪穴式石室 |
国の指定史跡 | 1927年4月8日 |
出土物 | 鏡、鉄剣、勾玉、管玉、円筒埴輪、鰭付円筒埴輪・朝顔型埴輪・家形埴輪 |
参考資料 | ・案内板 ・天理の古墳100(天理市教育委員会) |
案内板
杣之内町内に存在する前方後方墳です。墳丘は全長190mを測り、前方後方墳としては全国最大規模です。杣之内古墳群を代表する前期古墳として知られています。
墳丘
墳丘は3段築成で、1段目のみ前方後方墳、2段目から上が前方後円墳となる特異な形状です。古墳の周囲に巡っていた周濠は前方部に隣接する古池に名残を残しています。後方部墳頂には柏原市芝山の板石が散乱していたことが知られており、竪穴式石室が存在していたと考えられています。古墳時代末期には北側の外堤を取り込んで塚穴山古墳が造られました。
古池の護岸改修に伴って平成12(2000)年に天理市教育委員会が行った発掘調査では、池内において前方部面裾が確認されました。平成24年~25年(2012~13)年には杣之内古墳群研究会により精密な墳丘測量が実施されました。
遺物
昭和62(1987)年に埋蔵文化財天理教調査団が西山古墳北側に隣接する塚穴山古墳を発掘調査していたところ、塚穴山古墳南東部分の下層から西山古墳の外堤が確認され、3基の埋葬施設が見つかりました。そのうち一つである埴輪棺墓に使用された埴輪棺7個体は、これまで西山古墳で採集されていた埴輪と類似しており、もともと西山古墳に樹立されていたもと考えられています。
出土した埴輪の時期から、西山古墳は古墳時代前期後半に築造されたと考えられています。
平成30(2018)年3月:天理市教育委員会