益田岩船|謎の巨石と四季報の驚くべき関係性

はい、今回は奈良県橿原市にある「益田岩船」を紹介します。益田岩船は「いつ」「誰が」「何のために」作られたのか謎に包まれた石造物。ミステリアスな石造物として、松本清張の小説「火の路」にも取り上げられたこともあります。

ところでバリュー投資において巨大といえば「四季報」ですよね。以前から、この巨石と四季報について関連が有るのではないかと、疑問を抱いていました。

そこで今回は、真のバリュー投資家が益田岩船と四季報との相関関係について調べるため、奈良の山奥に向かいました。

益田岩船とは

益田岩船は、橿原市と明日香村の境界にある岩船山の山頂付近に存在します。江戸時代の観光誌「大和名所図会」にも記載されており、古くから認識されていたようです。

明日香エリアには、亀石や鬼の雪隠など、花崗岩で作られた石造物がいくつか存在しています。益田岩船も花崗岩を用いており、7世紀頃に作られた説があります。

亀石

益田岩船の形状は直方体で、東西約11m、南北約8m、高さ4.7m。下部が埋まっているため正確な重さは不明ですが、600t~1000tともいわれています。

石造物上部には、1辺1.6m、深さ1.2mの人工的に掘削された穴が2ヶ所存在し、この穴の存在が、様々な諸説を生み出しています。

益田岩船がどのような理由で作られたのか不明ですが、以下の2説が特に知られています。

①弘法大師による巨大な石碑の台石
益田岩船の名前に由来する「益田池」からきています。益田池は平安時代に作られた灌漑用のため池で、築造に空海の弟子が携わったと伝わっています。空海は益田池の完成についての碑文を残しており、益田岩船が碑文の台座だったとの説です。

②失敗した横口式石槨説
現在有力視されているのが「失敗した横口式石槨説」です。横口式石槨とは、岩をくり抜いて作った埋葬施設で、横穴式石室と石棺が合体したようなもの。

横口式石槨と益田岩船は構造が類似しており、益田岩船は横口式石槨の製作過程で失敗したものといわれています。

また、益田岩船の近くには横口式石槨を有した「牽牛子塚古墳」が存在しています。

牽牛子塚古墳
牽牛子塚古墳

近年では、牽牛子塚古墳に利用しようとしたものの、製作途中にヒビが入り放置されたとの説が有力となっています。

益田岩船と四季報の関係とは

はい、奈良県明日香村にきております。益田岩船は橿原市にありますが、最寄り駅は飛鳥駅です。地名は「明日香」ですが、駅名は「飛鳥」なんですね。もう、どっちやねんという感じです。

飛鳥駅

益田岩船周辺には駐車場がないので、そんなときはレンタルサイクルです。明日香村は、レンタルサイクル施設が充実しているので本当に助かります。体力の落ちたアラフォーは、もちろん電動アシスト自転車一択。

もちろん益田岩船に行く途中にもいくつか古墳があるので、全力で激写。自転車を漕ぎながら、謎の茂みを撮影している勇姿をお見せできないのが残念です。

あれこれと寄り道しながら、岩船山に到着。誰も見にくる人がいないと思いきや、私の後に一組見に来た人がいました。もしかしたらバリュー投資家かもしれません。

益田岩船

益田岩船まで道は整備されていますが、いきなり挫けそうな階段が続いています。しかし後続の人と被ると激写できないので、最後の力を振り絞りダッシュ。アラフォーには厳しい試練です。

益田岩船

死にそうになりながら、5分ほど駆け上ると益田岩船が存在します。ハッキリ言ってデカい、デカ過ぎです。

益田岩船

この形状を見る限り、巨大な四季報と言い切っても過言ではないでしょう。色は赤みがかったグレーで、まさに四季報。下部に格子状に彫られた形跡があり、完全に四季報です。

益田岩船

こちらは反対側。側面は綺麗に磨かれた感じで、四季報の肌触りに近いのではないでしょうか。

益田岩船

こちらが上部になります。2個のくぼみが見えますが、四季報を収めるために作られたのかもしれません。まさにキングオブ四季報。

益田岩船

益田岩船と四季報との驚くべき類似性に思いをはせていましたが、後続の人がやってきたので帰りました。

まとめ

今回は、奈良県橿原市にある謎の巨石「益田岩船」を紹介しました。実物をみて四季報との相関性の高さに、ただただ驚くばかりです。

四季報の原点が、飛鳥時代にまで遡る可能性が見えてきたところで、家の四季報をそろそろ開封しなければと決意しました。

益田岩船詳細

住所〒634-0051 奈良県橿原市白橿町8丁目20−1

-古墳, 奈良県
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